tag:blogger.com,1999:blog-377832222024-03-14T00:55:55.290+09:00日々と人生の宝物<a href="http://www.ne.jp/asahi/qz/jtnk/">ホームページ</a>
宝物を探索し、発見し、手に入れること。また宝物を創造し、築いてゆくこと。そして宝物を与え、捧げること。そして宝物に成ること。少しでも、少しづつでもそれらに近づいてゆけることを願って。<small>(2017/12/09、タイトルを変えました。意味、趣旨は変わりません)</small><a href="http://others.blogmura.com/"><img src="http://others.blogmura.com/img/others80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 その他ブログへ"></a><br><a href="http://others.blogmura.com/">にほんブログ村</a>田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.comBlogger69125tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-45737956002646711162022-06-22T10:54:00.000+09:002022-06-22T10:54:09.285+09:00口だけマスク(鼻出しマスク)に適したデザイン 理由についてはいろいろと考えられるが、多くの日本人が、義務ではなく薄弱な根拠で推奨されているだけのマスクをする習慣から離れられないでいる。個人的には、(と言っても信頼できる専門家や識者の意見に従っているわけだが、)全体としてはメリットは殆どなく、いろんな面で弊害の方が大きいと思うし、そういう意見を持つ専門家や識者も多いことは明白である。ただ、多数の専門家が述べているように、ウィルスを含んだ飛沫の飛散をある程度は防止できるという点においてはだいたい合意されているので、マスクを着けたい人あるいは他人にマスクを要求する場合は鼻出しマスクあるいは口だけマスクで十分であるという考えが成り立つし、実際、そういう使い方をしている人も多いのが現実である。そこで、そういう使い方をし易いようなマスクのデザインが望まれるとも言えるのである。そういう考え方からいえば、テレビで時々見られるように一部の田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-48236147713034672122022-06-20T10:17:00.004+09:002022-06-22T09:05:09.838+09:00本ブログ更新記事の特定カテゴリーにつき公開サイトを移転しました 2022年6月20日より下記ブログサイトで一部(心身、すなわち人間について)の新規記事を更新しています。過去記事も転載しています。こちらでは物品や技術に関する内容に限って更新することとしました。新規サイトの名称は本サイトと似ています。「人生と日々の宝物」:https://yaguruma.cocolog-nifty.com/takara/田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-67885493486020725682022-05-11T10:41:00.001+09:002022-05-12T18:54:36.848+09:00ゲーテが飲んだアルカリ性の味がする塩類―重曹か? 最近よくUチューブ動画で重炭酸ナトリウムとクエン酸の健康効果を謳う動画を見る。肯定的な経験談が多いので試してみることにした。ところで、思い出したことがあって確かめてみた。それは去年から読み始めたゲーテの『詩と真実』にそれらしきものについて書かれていたことである。次に潮出版社刊、山崎章甫訳から引用してみる。ゲーテが神秘主義や錬金術の研究をしていた若いころの話である。「私ははげしい不安を感じて、生命の危険をおそれ、どんな医薬ももはや効果をあげえないように思えた。こんな危急の場合に不安でたまらなくなった母は、当惑する医者にむかって、あの万能薬をもってきてくれるように激しく迫った。医者は長いあいだ反対したあとで、深夜自分の家にとってかえし、結晶して乾燥している塩類を入れた小さなコップを持ってきた。そして、これを水に溶かして病人の私に飲ませたが、この水ははっきりアルカリ性の味がした。田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-42402472862394023802022-04-18T15:24:00.000+09:002022-04-18T15:24:35.856+09:00二年以上にも及ぶマスク生活の弊害が顕在化し始めたのではないかという不安 先日、知り合いの90歳代の女性が、肺のレントゲン写真で白い影が見つかって心配しているという話を姉から聞かされていたところ、その女性と直接電話をする機会があって、姉からは結核かとも聞かされていたがそうではなく、軽い肺炎であるらしいことがわかった。結核にしても軽度の肺炎にしても、このような感染症は個人の免疫力の低下が大いに関係するように、この数年来に得られた知識からすぐさま判断して、この2年間以上にも及ぶコロナ対策で繰り返し喧伝されている『基本的な対策』として真っ先に挙げられるマスク着用の弊害について、当初から一部の医学専門家が警告してきたことが思い起こされたのである。ユーチューブ動画で見たのだが、その先生は当初から、多分もう二年以上は前になると思うが、数年後(2,3年後だったかもしれない)にはマスク着用の弊害が顕在化して、国民の免疫力が平均的に、大幅に低下しているだろうと予測し田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-17235532562492744162022-04-03T18:26:00.000+09:002022-04-03T18:26:13.638+09:00いまこそマスクの効果を再検証すべき(比較の重要性) 新型コロナ感染症対策として公共の場とプライベートの場でマスク着用が日常的になって3年ほど経過した。緊急事態宣言も蔓延防止何とかも解除された今、あらためてマスク着用の効果や弊害を検証し、再検討すべき時期に来ているのではないだろうか?国や自治体やマスコミがそれをしないのなら、各々の個人が自分でそれを行うよりほかはないだろうと思う。再検証を行うにはいろいろな切り口、あるいは筋道があるが、極めて基本的でありながら、意外と無視あるいは軽視されていた点は、他の感染経路との比較という切り口である。もちろん比較には意味的な比較と量的な比較が含まれる。とくに精度はともかく、大雑把でも量的な比較は重要だろう。比較的最近だが、某テレビ局の賢明なる女性アナウンサーが次のような意味の発言をしていた:マスクよりも手洗いあるいは消毒の方が有効な対策であるはずなのに、現実のにはマスク着用ばかりが喧伝されるの田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-35787242593910214382021-07-07T20:43:00.003+09:002021-07-09T14:48:22.811+09:00自転車の効用を見直す 私には70歳代後半から80歳代にかけての姉が3人いるが、少なくとも脚の健康度において最上の状態を維持しているのは一番年上の姉である。電車やバスは使うが、そのための徒歩移動や日常の徒歩移動には何も問題がない。彼女はそもそも最初から自転車は使ったことがなく、電車やバスを使えない部分はいつも歩いてとおしてきた。それに対して二番目の姉は大の自転車好きであり、ここ数年は脚が弱って普通に歩くことも覚束なくなってしまったので、もっぱら近隣への移動も自転車だけが頼りで、自転車なら片道3キロくらいのところでも苦にならないという。ちなみに肥満体でかなりの高血圧症でもある。三番目の姉は自転車は使わないが、夫や子供が自動車に乗るので、結構自動車に乗る機会が多かったように思われ、長距離を歩くことは苦手であったようだ。最近は脚以外の何らかの健康上の原因で歩けなくなり現在治療とリハビリ中であり、なんとか元田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-35817204162831362612021-06-24T16:09:00.003+09:002021-06-24T16:09:48.748+09:00ワクチンと人々の世代、そして階層 ― ワクチンへの依存心という問題 先月の初めか中頃だったが、仕事の件で私と同年の友人に電話したときにワクチンの話にになり、彼がこの問題で子供達と対立関係にあることを知った。当時その友人はワクチン待望派であり、その時すでにワクチンを打つことに決めていた。この点で私とも意見が対立していたわけだが、彼はそもそもワクチン好きで、これまでも毎年インフルエンザワクチンを打ちつづけ、近年には年配者に案内が来る肺炎のワクチンも打ってきたそうである。そして娘さんにも子宮頸がんのワクチンを打つことを勧めているというのである。その娘さんはワクチン忌避派であるとのこと。もちろん、その娘さんも立派な成人だから、彼も無理に子宮頸がんワクチンを押し付けるようなことまではしないとは思っている。一方、私は、インフルエンザワクチンは、たぶん中学校で集団接種して以来、打ったことがなかったし、何年か前に来た肺炎のワクチンも、初めてのことで少々気には田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-15842003205825813982021-03-10T13:05:00.000+09:002021-03-10T13:05:40.677+09:00ある噂(新型コロナウィルス関連の)の、ひとつの真相 少し前、大阪府の身内者と電話話をしたとき、知り合いの掛かりつけのお医者さんがコロナで死んだという噂があって非常に怖がっている様子だったので、近くに住んでいる親戚の者にラインで確認してみたら、その話は「デマでした」という返事で、まあ一安心した一件があった。しかし身辺でもそんなデマが飛び交っているということ自体は余計に大きな心配事ではあった。つい先日、当地へ帰省した際にもう少し詳しい実情を聞くことができた。 今回の話では、後で分かったところによると、「コロナで死んだ」とされたお医者様の診療所の玄関に「新型コロナに感染したので15日間休診します」という趣旨の張り紙があったというだけの話らしかった。誰かがそれだけで、「コロナで死んだ」と言いふらしたらしいので、これもその日に聞いたところでは、あとからそれを言いふらした人は平謝りだとのことである。とはいえそれが誰であるとか、誰田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-83645919248463768252021-01-06T00:14:00.002+09:002021-01-06T00:14:47.306+09:00心の四つの機能と感染症対策 ― ブログ・発見の発見の記事採録以下の記事は筆者の別ブログ『発見の発見』の最新記事の再録です。ブログ・発見の発見は、一応何らかの学問分野に該当するような、多少は体系的なタイトルと内容で記事を書いています。ただ、今回の記事は本ブログで最近の一連記事のテーマであるCOVID-19感染症対策とマスクの問題に関係していますので、こちらの方にもそのまま再録することにしました。タイトル:心の四つの機能と感染症対策 COVID-19感染症対策については、オーソリティ側を含め多くの専門家のコメントがマスコミやネットを通じて日々伝えられている。ただし、意外でもあり不満でもあることのひとつは、心理学者や脳科学者などからの発信が少ないように見受けられることである。というのは、病気の予防対策というものは多分に精神面との係わりが大きいし、さらに免疫機能にも関わる問題であり、免疫機能については精神面との強い関係に言及されることが多い。田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-28339810726867780422020-10-23T16:50:00.000+09:002020-10-23T16:50:00.187+09:00ウィルス感染対策としてのマスク(非)着用の論理 前回と前々回の記事で、ウィルス感染対策として、少なくとも国レベルでマスク着用を義務化あるいは要請することに意味がないことが、スウェーデンの経験から判明しているという考えを述べた。もちろんそれは国のようなレベルで、全体として統計的な結果が意味を持つ単位での対策としてであって、個々の環境や個人的なレベルでの是非はまた別の問題である。それについては同記事で引き続いて考察し、述べている。また、上記は統計的な結果にのみ基づくもので、具体的なメカニズムや個々のメリット、デメリットについては詳しく考察していないので、もとより専門的な知見からでは全くないが、日常的な言葉で可能な論理の範囲から考察してみたい。【スウェーデンの実績が持つ意義と重要性】その前にまず、スウェーデンの実績から国家的なレベルでマスク着用を求める必要がないという結論を導き出すという、一見単純な論理の重さをもう少し強調した田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-68181412927986970162020-10-14T11:58:00.000+09:002020-10-14T11:58:57.771+09:00前回に続けて ― メディアの一部から垣間見えるマスク非着用デモンストレーションのサイン前回の記事で、新型コロナ感染症対策として、国のような全体的なレベルでマスク着用の強制あるいは要請が意味がないことを理解するにはスウェーデンの経験を参考にするだけで十分だという考えを述べた。スウェーデンではマスクを強制も要請もしなかったにも関わらずほかのヨーロッパ諸国を上回るような「感染拡大」が生じなかった理由としては「集団免疫」ということがよく言われている。私はもちろん専門家でもなく個人的にもそこまで勉強していないので集団免疫の理論が正しいのかどうかはよくわからないが、何れにしても、このような結果を示すデータだけで十分であろうと思う。当面のマスク着用を考えるという目的では、理詰めで追究しなくても、単なる実証結果としてみるだけで充分であると思う。というのも、この問題を理詰めで、理論的に議論しようとしても、マスク着用が不要であるかデメリットの方が大きいと考える私のような立場から、他の反対の田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-30853542547436663602020-10-08T18:31:00.002+09:002020-10-08T18:31:35.636+09:00新型コロナ対策とマスク着用について、私の経験と考え(この記事は私の別ブログ『矢車SITE』の最新(10月2日)記事から一部を多少編集して転載したものです。)新型コロナ対策とマスク着用について、私の経験と考え【これまでの体験】さて、今回の帰郷でも所用以外で気になっていたことや考え続けたことは、言うまでもなく、新型コロナ騒動の事であった。何しろ道程中の殆どを四六時中、殆どがマスクをした群衆の中を通り抜けなければならないのだから。新型コロナ対策では、いまや個人的には全く心配していないのだが、こういう外出や旅行、さらに人に会うことで問題になることは、まずマスク着用の問題である。そこでマスク着用の問題について個人的な履歴と考えについてまとめておこうかと思う。昨年暮れから今年にかけての冬の間、この問題がニュースに登場し始めた頃、私はやはり新型コロナ感染を恐れて、最初はよく行く上野方面に出かけることも避け、マスクも着用したかったのだが、あいにくすでに田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-87669490359541816702019-08-30T15:28:00.000+09:002019-09-01T07:33:29.137+09:00現今のバーチャルリアリティー(VR)概念についてのいくらかの分析と提案
バーチャルリアリティー ― Virural reality (VR)― は結構多岐にわたる意味合いを持っていますが、基本的にはある種の技術の意味で用いられ、辞書的にも技術として定義されているようです。ウィキペディアには次のような記述があります:「バーチャル・リアリティ」という言葉は、ジャロン・ラニアーが設立したVPL Researchが、1989年に発表したVR製品のデータ・グローブ (Data Glove)・アイ・フォン(Eye Phone)・オーディオ・スフィア (Audio Sphere) の紹介から一般的に使われ始めた[6]。」
私の記憶では当初、上記の類の製品については一般マスコミの他、特にオーディオヴィジュアル系の雑誌で取り上げられることが多かったように思いますが、この筋の評論家の間での評判はあまり芳しいものではなかったように記憶しています。そのVRの現状と将来性、発展田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-62436306769027868892019-05-17T16:23:00.001+09:002019-05-17T16:23:37.700+09:00デスクトップ型PCディスプレイ新方式の提案今回は筆者の登録済み特許案件に関わるもので、端的にいって宣伝です。
正規の紹介ページは下記URLです:
http://www.te-kogei.com/patent/koho_shomidai.html
従来、デスクトップ用パソコンとしては旧来のディスプレイが付属しないパソコンの他にノート型パソコンとディスプレイ一体型と呼ばれるパソコンがあります。この提案はそれらに対して【ディスプレイ接合型(方式)のパソコン】 と呼べると思います。
筆者は現在、実はノートパソコンに大型のディスプレイをつないでデュアルディスプレイとして使用しているのですが、必ずしも快適な使いよさが実現できていません。角度の調節範囲も狭いうえ、何よりも机の上がケーブル類で占領されるのが最も煩わしいところですね。
ケーブル類が柱体部分に接続できるうえ、ディスプレイと柱体部分の位置関係や設置方法で多様田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-3101649805363650512018-09-09T17:37:00.000+09:002018-09-09T17:37:40.765+09:00眼の健康とPCディスプレイ ― その3 ― やはり視距離と面積の関係が最重要このタイトルの前回記事まではディスプレイ表面の性質に関して目の疲労に及ぼす効果を考えたり、いろいろ試して見たりし、結局光沢塗装に落ち着いたわけで、それはそれで結構、効果があったように思いますが、それでもやはり効果は部分的で、せいぜい全体の10~20パーセント程度ではなかったかなと思います。それでついに、最初から気になってはいたものの、対策が面倒なために今まで放置していた問題に対処してみました。それはディスプレイと眼の距離の問題です。
実は、現在のPCディスプレイは27インチなのですが、それ以前は19インチでした。普通PCディスプレイの距離は眼から40cm以上とされていたように記憶しています。ところが現在の机は奥行きが小さいため、PCディスプレイを眼から40cm以上に離すには机の端まで離す必要があり、実際にぎりぎりの端まで離してはいました。しかしそれが27インチになり面積が大幅に増加田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-40058814510978773032018-03-05T16:58:00.000+09:002018-03-06T09:35:25.312+09:00散歩またはウォーキングの効用 — 免疫力とストレス散歩とウォーキングとはまた違うのでしょうが、どうもウォーキングという英語を使うのは気がすすみません。とはいえ医学的な効用などを云々する場合はウォーキングといった方が適切そうだし、ウォーキングシューズなどになると日本語は使えないというのももっともです。ここで、ついでに余計なことを言うと、「リスペクトする」というあまりにも耳障りな言い方だけは断固拒否したいですね。だいたい日本語でパ行の音はあまり良い意味の言葉には入らないと思うのですが。あ、散歩にはパ行が入っていましたか(笑)。
さて、最近ネット情報でウォーキングによる免疫力強化についての専門家サイトによる記事を見ました。それによるとウォーキングで免疫力が向上できるので毎日歩くことは非常に良いことだが、一定の限度を超えると逆に免疫力が低下するとのことでした。最初この記事を読んだときは少々反感を感じてしまいました。田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-20175865731390709332017-12-06T14:05:00.000+09:002018-01-26T15:08:11.101+09:00眼の健康とPCディスプレイーその2前回、このタイトルで記事を書きましたが、同じテーマで別のブログ(ブログ「発見の発見」)に新しい記事を書きましたので、こちらからもリンクしておきます。
当該記事の内容というのは、繰り返しになりますが、私が個人的に使っているPCディスプレイで実験的にやってみたことで、27インチ4Kの艶消しPCディスプレイに水溶性のつやだしニスを刷毛で塗ってみただけのことです。この種の塗装を行っている人はすでに沢山いるのではないかと思います。現にディスプレイ用の光沢シートはいろいろと販売されています。しかしスマホやタブレット用ならいいのですがサイズが大きくなると非常に選択肢が少ないばかりか非常に高額になり、また貼るのも難しくなってくるので、あまり普及はしていないように思います。またスマホやタブレット用はつや出しというよりも元々光沢のあるガラスの保護用と考えられていますからね。ということで、現在艶消しガラスの田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-38128214510122162412017-09-18T17:02:00.000+09:002017-09-18T17:02:37.252+09:00目の健康とPCディスプレイ ― 個人的には有機ELに期待したいのだが眼の健康と視力低下への対処の問題は現代社会が取り組むべき最重要な課題のひとつだと思う。もちろん、言わずと知れた人口高齢化の傾向ともかかわりが深い。端的に言って高齢化に伴う視力の劣化の問題は、がんなどの全身病や体力低下の問題にも増して重要だと思っている。何はともあれ視力さえ維持できれば仕事であれ楽しみであれ、個人を超えたもっと大きな目的であっても、何とかなることが多いのだから。それに、視力は聴力などに比べても比較的若いころから老化しやすいし、私もそうだが近視や乱視の人は多いから、老化による劣化は大幅に助長されることが多いということになる。
このような意味で視力自体や眼精疲労の医学はもちろんだが、環境的な問題、とくに視覚メディア、中でも文字を主体とする視覚メディア、端的に言ってPCディスプレイへの取り組みはその重要性から言って、日本のみならず世界的にも、他の分野に比べて大幅に遅れを取って田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-22712307541113144272016-09-16T14:45:00.001+09:002016-09-17T09:58:16.653+09:00不忍池とスマートフォン、そしてポケモンGO
不忍池とスマートフォン、全く異なるものだが、どちらも最近の私にとってちょっとした宝物といえるかもしれない。といっても唯一無二でも最上の宝物という程のものでもない。もちろん「お宝」などではない。もともと宝物というものはたいてい、人生にとって必ずしも不可欠といえるようなものではない。あるいは代替が効かないようなものでもない。文字どおりの宝物である宝石にしても多くの女性にとって、無くしたからといって、あるいは身につけられなくなったからといって、絶望するほどのものでも無いだろう。とはいっても人生の一時期には他に代え難い有り難みをもたらしてくれるものといえるかもしれない。
不忍池によく足を運ぶようになったのはこの2、3 年のことである。今の住居から 2キロぐらいしか離れていないから格好の散歩コースである。かつて仕事で御徒町の方によく通っていた頃は御徒町の方から上野公園に足をのばした田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-53190310579923693742014-02-11T13:35:00.000+09:002014-02-11T15:00:24.399+09:00政治的争点としての脱原発問題端的に言って、投票率を含めた今回の都知事選の結果がこうなった原因は、個人的にはどう考えても一方の方から、争点が脱原発問題になってしまったと言うか、されてしまったことにあると思う。
震災直後ならこういう争点になる必然性は十分あっただろうと思う。しかし、現在に至って国民も都民も多くの事実、それも真実、虚偽、欺瞞 、謎、等々を含めた様々な事実を知ってしまった。たとえ今でも即時の脱原発論が正当であるとしても、現在の状況下における都知事選の第一の争点になる必然性はなかったと思う。選挙まえに一度だけツイッターでその疑問をつぶやいた。
繰り返しになるが、福島原発事故以降、確かな事実、不確かな事実、真実、虚偽、欺瞞、誇張、あらゆる態様というか、可能性というか、適切な言葉がみつからないが、そういう状態を含めて多くの事実が明らかになった。今では平均人の体内に常時数千ベクトルの放射線を維持し続けていること田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-38999619065857159882013-10-24T11:57:00.000+09:002013-10-24T11:57:47.443+09:00ノートパソコンの解像度または精細度は早急に改善すべきで最近始まった高解像度化は促進すべき以前にこのブログで報告したとおり、姿勢などの関係からノートパソコンの方がデスクトップより良いのではないかと思い、また別の理由もあって、昨年の夏ごろから従来のデスクトップに加えてノートパソコンを導入し、メインで使用するようになっていた。従来のデスクトップはマルチスクリーンでそのままにして併用し、主としてノートパソコンで入力作業をするようになり、さらにはスマートブリッジという、一つのマウスとキーボードで両方のPCを使えるデバイスも使ってそれなりに便利に使っていたのだが、一つ、大きく目論見とは異なる不都合が次第に顕著になってきた。一言で言ってそれは標準的なノートパソコンの、解像度というか、DPIが、ノートパソコンの使用条件に適応できていないということである。これが眼の疲労に著しく影響することが分かったのである。ノートパソコンを追加してさらにメインに使用するようになって便利にはなったのだが、眼の田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-18592856484011393642013-10-17T01:07:00.000+09:002013-10-17T15:44:08.101+09:00椅子と机と正座先日、経済ニュース番組で、アメリカ発の事務用椅子の新製品を紹介していた。自由な姿勢、特にPCやタブレット使用に対応したという斬新な構造と機能性を持たせたということだったが、気になったことは、依然としてキャスター付き五本足の回転椅子であるということで残念に思った。個人的に、当人も五本足のキャスター付き回転椅子を毎日使用しているが、実のところもうこの種の椅子が嫌になっている。
特にぐらつくというわけでもないが、どうしても古くからある回転しない椅子の安定した感触は得られないし、何よりも五本足の位置が定まらず、じゃまになる。本来どのような作業であってもこういう回転椅子は適切ではないと思うがどうなのだろうか。ピアニストは絶対にこんな椅子を使わないし、他の楽器でもそうだろう。事務や手作業でも同じだと思う。
近頃、近くの図書館に通って借りることをせずにそこで一時間程読むことが多くなったが、図書館の田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-14268723549459850952013-03-18T14:41:00.001+09:002013-03-18T14:41:05.703+09:00ウクライナからのアクセス最初、「はてなダイアリー」でブログを始めてから成り行きでブログの数が増えてしまい、現在それ以外に「ブロッガー」で三つと「FCブログ」で一つ、合計五つのブログを公開するという始末になってしまいました。いずれのブログにもアクセス解析を設置していますが、これも成り行きで二通りのアクセス解析が設置されています。はてなダイアリーには「はてなカウンター」を設置した後、あとからブロッガーの三つのブログとともに非常に高機能のグーグルのアナリティクスを設置しました。しかし、かなり後になってから、ブロッガーには最初からアクセス解析が組み込まれていることが分かり、これらも二通りのアクセス解析が設置されている状態になっています。もう一つのFCブログの方は、かなり後から始めたブログですが、これは最初からアナリティクスを設置しただけだったのですが、次に述べるようにアナリティクスのデータに問題があるように思われたので田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-29804325320459784222013-01-03T21:46:00.000+09:002013-01-04T11:06:04.011+09:00タブレット機の使用、現在は殆ど休止中。ノートPCの目につく問題点前回、読書の姿勢に関してネットでアンケートを取ったことで記事を書きました。引き続いてアンケートを取り直したり、考察を続けるつもりのところ、一時的な多忙をきっかけに中断中ですが、いずれ再開したいと思っています。ちなみに、アンケートは、はてなアンケートを使用したのですが、最初、読書スタイルに関するアンケートは有料のポイント付きで行い、すぐに100人の回答が集まりました。しかし次にタブレットの目的についてのアンケートを無料のポイントなしで行ったところ、回答をしてくださったのは一人でした。次回以降おこなうとすれば有料のポイント付きでおこなわざるを得ないようです。
同じ流れでパソコン系メディアに関する体験談というか批評のような一連の記事を書いていますが、今回はその系列のひとつという結果になりました。
タブレットに引き続いてのノートPCの導入
当時、と言っても去年ですが、タブレットを購入した田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-37783222.post-34240539305300050962012-12-23T13:42:00.000+09:002012-12-24T00:07:39.646+09:00「ウソも方便」と「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」、仏教と儒教 ― 脱原発ことわざ、と言ってよいのかどうか、ちょっとわからないが、「ウソも方便」と「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という二つのことわざを比較してみることは非常に興味深いことのように思われる。まず、この両者の由来するソースが大きな意味を持つことに気づく。というのは、前者は仏教経典の法華経に由来しているのに対し、後者は儒教の始祖である孔子の言葉である。
「ウソも方便」の方は法華経の方便品からきている。個人的には昔現代語訳を一読したこともあるが、たいていの人は何らかの機会に聞かされている常識でもあると思う。「過ぎたるは」の方は自分でソースを読んだことはなくこれまで知らなかったが、漢文調でもあり、孔子あたりの言葉ではないかと思ってネット検索してみたら、確かに孔子の言葉とされている。
端的に言って、この文脈での仏教と儒教の違いは、「仏、または悟りを開いた覚者」と、「君子または聖人」との違いと言えそうで田中潤一http://www.blogger.com/profile/12423015027053262241noreply@blogger.com0