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金曜日, 5月 17, 2019

デスクトップ型PCディスプレイ新方式の提案

今回は筆者の登録済み特許案件に関わるもので、端的にいって宣伝です。
正規の紹介ページは下記URLです:
http://www.te-kogei.com/patent/koho_shomidai.html
従来、デスクトップ用パソコンとしては旧来のディスプレイが付属しないパソコンの他にノート型パソコンとディスプレイ一体型と呼ばれるパソコンがあります。この提案はそれらに対して【ディスプレイ接合型(方式)のパソコン】 と呼べると思います。




筆者は現在、実はノートパソコンに大型のディスプレイをつないでデュアルディスプレイとして使用しているのですが、必ずしも快適な使いよさが実現できていません。角度の調節範囲も狭いうえ、何よりも机の上がケーブル類で占領されるのが最も煩わしいところですね。


ケーブル類が柱体部分に接続できるうえ、ディスプレイと柱体部分の位置関係や設置方法で多様な置き方と角度が可能になるものと考えられます。詳しくは上記URLをご覧いただけると幸いです。

水曜日, 12月 06, 2017

眼の健康とPCディスプレイーその2

前回、このタイトルで記事を書きましたが、同じテーマで別のブログ(ブログ「発見の発見」)に新しい記事を書きましたので、こちらからもリンクしておきます。

当該記事の内容というのは、繰り返しになりますが、私が個人的に使っているPCディスプレイで実験的にやってみたことで、27インチ4Kの艶消しPCディスプレイに水溶性のつやだしニスを刷毛で塗ってみただけのことです。この種の塗装を行っている人はすでに沢山いるのではないかと思います。現にディスプレイ用の光沢シートはいろいろと販売されています。しかしスマホやタブレット用ならいいのですがサイズが大きくなると非常に選択肢が少ないばかりか非常に高額になり、また貼るのも難しくなってくるので、あまり普及はしていないように思います。またスマホやタブレット用はつや出しというよりも元々光沢のあるガラスの保護用と考えられていますからね。ということで、現在艶消しガラスのPCディスプレイをわざわざ光沢面にする需要は少ないのかもしれません。それは最初からわざわざ艶消しガラスを使用している製品がたくさんあり、艶消しガラスのメリットが信じられているからでしょう。とはいえ最初から艶消しを望む人だけが艶消しタイプを購入しているとは限りません。製品の色と同様、消費者が選択できない場合も多いのです。私の場合、昨年の初め頃に購入したのですが、最初から光沢ガラスタイプが欲しかったものの、当時は目的の性能と予算との関係で選んだ機種に艶消しタイプしかなかったのです。

というわけで、艶消しにはそれなりのメリットがあると考えられているのは確かですが、では実際に、想定されているほどのメリットがあるのか、またデメリットがどれ程のものなのかについて十分に研究され、最適化されているとは到底思えないのです。 そのような不満から、特に、現在PCディスプレイの艶消しガラスに使われている艶消し処理には大いに問題があるのではないかという疑問から、高価で使い方に難しいところもある光沢シート以外に艶消し方法はないものかいろいろ思案した上、ネットの通販サイトの宣伝や、とくにカスタマーレビューなどを参考にどのような選択肢があるものかを考えたうえで、近くのホームセンターで最も手頃、つまり安価で使いやすそうな塗料製品を見つけて試してみたという次第なのです。そしてその結果は、上記ブログで報告しているとおり上々で予想以上でした。

もう一つ繰り返し強調したいことは、現在の艶消しガラスはメリットよりもデメリットの方がずっと大きいのではないかということです。特に文字の場合に言えることですが、現在の艶消しガラス特有のノイズ感が眼の疲労に及ぼす影響が大きいのではないかということです。個人的にですが、最近に至って年齢のせいも加わり、PC作業による眼の疲労が耐えられないくらいに顕著になってきたため、仕事の将来について不安に思われるほどにさえなっていたところでした。遅寝遅起きという生活習慣の問題もあったようですが、その問題はさておき、眼の疲労が、特にPC画面を見始めて1時間ほど経過するだけで文字が二重に見え始める傾向が顕著になってきていました。眼が疲労するにしてもそのような不快な疲労の仕方に、この艶消しガラスの特殊な効果が関係しているのではないかという疑いを以前から持っていとところ、それに結構根拠があるのではないかという結論も今回の成果の一つです。というのは、上述のとおり、光沢ニスの塗装でディスプレイの使用感が改善した結果、眼の疲労自体が解消したわけではないにしても、今述べたような不快な眼の疲労感、二重に見えるような不快感はなくなっています。

眼の疲労に関してはこの種の問題以外に身体的な健康の問題が絡むことはもちろんです。特に睡眠時間とか遅寝遅起き、また食生活や栄養の面でも努力が必要なことは言うまでもありませんが、このようなディスプレイの問題が、単に明るさとかブルーライトといった問題以外に、潜んでいることは間違いないように思います。

メーカーの方にもこの面で研究と改善をお願いしたいものですが、ただしこの件では安価な塗料を自分自身で手塗りするだけで済むので、それで良いのかもしれませんね。上記のブログでも書いていますが、塗り方が下手でも汚くても効果に問題がありません。刷毛ムラや塗りムラもむしろ手作り感の温もりが加わって、少なくとも自分で塗ったのであれば愛着も出てくるというものです。光沢自体も透明ガラスのきつい光沢に比べて柔らかみがあり、塗装面独特の心地よさがあります。こういった点でも、実に興味深い多様な問題を含んでいるように思います。

月曜日, 9月 18, 2017

目の健康とPCディスプレイ ― 個人的には有機ELに期待したいのだが

眼の健康と視力低下への対処の問題は現代社会が取り組むべき最重要な課題のひとつだと思う。もちろん、言わずと知れた人口高齢化の傾向ともかかわりが深い。端的に言って高齢化に伴う視力の劣化の問題は、がんなどの全身病や体力低下の問題にも増して重要だと思っている。何はともあれ視力さえ維持できれば仕事であれ楽しみであれ、個人を超えたもっと大きな目的であっても、何とかなることが多いのだから。それに、視力は聴力などに比べても比較的若いころから老化しやすいし、私もそうだが近視や乱視の人は多いから、老化による劣化は大幅に助長されることが多いということになる。

このような意味で視力自体や眼精疲労の医学はもちろんだが、環境的な問題、とくに視覚メディア、中でも文字を主体とする視覚メディア、端的に言ってPCディスプレイへの取り組みはその重要性から言って、日本のみならず世界的にも、他の分野に比べて大幅に遅れを取っているのではないかと思う。

私くらいの年になると、すでに若いころから、周辺には、歳をとって視力が落ちたために本を殆ど読まなくなったという人も多かった。今となっては私自身、もうその人たちの年齢を超えているから、当然その状況はよくわかる。今もPCを使って文字を読み書きする仕事をしているけれども、本当に日ごとに眼が疲れやすくなり、1日に作業に耐えられる時間も大幅に減っている。年齢の近い身内や友人知人たちも当然そのようになっている。特に、本はまだしもパソコンの画面はもう見なくなったという人は多い。もっとも、元来がパソコンを日常的に使っていたという人たちではないのだけれども。

本とパソコンを比べると、当然パソコンの方が格段に目が疲れるというのは常識というよりも、殆どの人にとって体験済みの事実で、直観的にも自明ともいえる。しかし小さなスマホや携帯電話や、逆に大画面のテレビなども、原理的にはパソコンの画面と同じ性質を持つものなのだが、目の疲れ具合や使用感は異なっている。例えば私とかなり年の離れた姉はもう80歳くらいだが携帯のメールは結構よく使っているみたいで、タブレットPCも時にはみているらしい。私は逆に使いかっての点でPCメールに慣れているから携帯メールは苦手で、使うときは苦労するし、多少長文になるとPCから転送して使うこともある。ただ、携帯やスマホの画面自体は文字でもPCで作業するときよりも目が楽である。大画面のテレビはそもそも文字を見ることは主目的ではないし、見る距離も離れている。

というわけで目の疲れと劣化に最も寄与しているのがパソコンディスプレイであることは確実といえるが、他方、紙の印刷物に比べて文字をいくらでも大きくできることや明るい画面で見られるということで、一面では目に優しい面もあるといえるのは皮肉ともいえる。いずれにしても文字の読み書きが主体になる作業では現在でも依然としてパソコン画面が最も大なる視力劣化の元凶であることに間違いがなく、それがために多くの人にとって年を重ねるにしたがってパソコンがもたらす恩恵から遠ざからざるを得ない状況が生じているのである。それにも関わらず、業界も政治家も本気でこの問題に取り組もうとしていないのではないかと思わざるを得ないのである。

最近、有名なオーディオ評論家がネット記事で有機ELのテレビを比較評価し、また有機ELの優位性を喧伝している記事を見て興味深かった。ある程度はすでに知られていることだったが、有機ELは基本的に明るさでは現状で液晶に比べて劣っているものの、ダイナミックレンジでは圧倒的に優れている、つまり黒が本当に真っ黒に表示できるという点で圧倒的に優れ、それがまた解像感や立体感、つまり奥行きの表現力にもつながっているということなのである。

このように明るさではそれほどでもないがダイナミックレンジで優れているという点は、本当のところテレビ以上に、PCディスプレイに望まれる特徴ではないのだろうか?

PCディスプレイで目が疲れるのはやはり、何といっても画面が明るすぎるからである。表面反射の問題もあるが、有機ELとの比較でいえば、端的に言ってダイナミックレンジが狭いからということになろう。つまり液晶では白い部分を暗くすると、文字の黒い部分とのコントラストが低下するから明るくせざるを得ないということになる。こうしてみると、有機ELの、明るさは十分ではなくとも黒が真っ黒に表示できる性質は、PCディスプレイに使うことによって、大幅に目の健康に寄与できると思うのである。これは大画面テレビの画質向上よりもはるかに有意義な使い方で、開発も優先すべきではないかと思うのである。

繰り返しになるが、PCディスプレイが目を疲れさせる原因の基本は白が明るすぎることに尽きるのではないか。数年前からブルーライトの弊害が喧伝され始めたが、結局ブルーライト対策などそれほど有効ではないか、そもそも有効になるほどだと画面の色調が変に変わってしまうので実用にならない。ブルーライトの有害性というのは確かにあると思う。例えば目に良いといわれる植物葉緑素の性質を調べてみると、確かに青色光線の吸収が大きいことに気づく。もう数年前になるが、それに気づいて急いで観葉植物を購入してPC周りに置いたりし始めたが、それでPC画面を見ずに済むわけではないのでほんの気休め、ブルーライト保護シートも同じようなものだろう。

ハードとソフトのメーカーも、これまでどこまで本腰を入れてこの問題に取り組んできたのだろうか?
かつてはホームページの背景なども目の保護を慮って色やテクスチャーをつけるのが一般的だったように思うが、今はポータルサイトや企業のホームページの殆どは背景が白になっている。個人設定で背景色を選択できる場合もあり、ファイアフォックスでも多少は設定できるが、個人的に使えるような色が少ないし、どのページでも有効に使えるわけでもない。ソフトウェアについてもそういう傾向があり、例えばこれまで普通の黒い文字が使われていたメニューや設定項目などに見づらい灰色の文字が使われていたりする。やたらに見栄えを目新しくしたいという意図だけを見るのは思い過ごしだろうか?

ウィンドウズのフォントについてもそういうことが言える。例えばMS明朝は白っぽくて大いに目の疲労に寄与している。だから用途によってMSゴシックを使用するが、ごつごつして流れが感じられず、美しくない。他のフォントも使えないこともないが、これらが標準として通用してしまっているからどうしても使わざるを得ない。

キーボードにもそういう傾向がある。最近はなぜか黒いものが主流になっているようだ。白いものもなくはないので白いのを選ぶと、文字が灰色になっていたりする。どうしてわざわざこんなところでデザインをいじるのだろうか?普通の本の文字を灰色にしたりするだろうか。そんなことをしたところで美しいデザインにはつながっていないように思う。


・・・・・・・・・・そんなわけで、当面、個人的には有機ELに大いに期待しています。その他、当然ですが眼の医学を含め、高齢者にも若い人にも関係なく眼に優しく、眼が疲れずに読み書きできる社会が到来してほしいものです。これも夢物語なのかな。

金曜日, 9月 16, 2016

不忍池とスマートフォン、そしてポケモンGO


不忍池とスマートフォン、全く異なるものだが、どちらも最近の私にとってちょっとした宝物といえるかもしれない。といっても唯一無二でも最上の宝物という程のものでもない。もちろん「お宝」などではない。もともと宝物というものはたいてい、人生にとって必ずしも不可欠といえるようなものではない。あるいは代替が効かないようなものでもない。文字どおりの宝物である宝石にしても多くの女性にとって、無くしたからといって、あるいは身につけられなくなったからといって、絶望するほどのものでも無いだろう。とはいっても人生の一時期には他に代え難い有り難みをもたらしてくれるものといえるかもしれない。



不忍池によく足を運ぶようになったのはこの2、3 年のことである。今の住居から 2キロぐらいしか離れていないから格好の散歩コースである。かつて仕事で御徒町の方によく通っていた頃は御徒町の方から上野公園に足をのばしたとき、たまに不忍池まで立ち寄ることがあった程度だったが、2年ほど前からそのようなコースよりも自宅からは随分と近道になる東大の裏門あたりの道、弥生町のあたり、竹久夢二美術館の前などを通る道や、近辺の複雑な小道、あるいはやや遠回りをして根津駅あたりの方を回ったり、いろいろなコースから歩いてゆくようになった。現在、一応は自宅で仕事をしているから、平日はどうしても、仕事が無くても5時か6時頃になるまでは外に出る気にはならない。仕事の連絡はすべてメールで来るからである。今年の初めにスマホを購入したきっかけの1つは、外でいつでもメールチェックをしたかったからだが、しかし冷静に考えてみればせいぜい3時間程度の外出で、メールチェックが絶対必要だというほどでもない。携帯電話があれば十分だろう。そんなわけでいったんはドコモのスマホ契約をしたが、あまりにも不経済な通信料とソフトの使用料に辟易して3ヶ月程で解約し、普通の携帯電話に戻してしまった。この間、かなり無駄な出費をしてしまう。ただスマホ自体は自宅で結構便利に使っている。やはり自宅でもパソコンだけでなくスマホがあると便利ではある。片手の手の中に収まるという点、確かに宝物という感触はある。外ではもっぱら散歩中に写真を撮ったり、不忍池のベンチで電子書籍の読書をしたりしていた。夕方暗くなってからでも読めるのでスマホの電子書籍はなかなか気に入っている。文字が多少小さくても書体はパソコンよりも読みやすい。もちろん紙の本も不忍池のベンチで読むのは快適である。以前から、外が明るいうちは、自宅の狭い空間ではあまり読書をする気にならないのである。読書をする場所として不忍池のベンチはまたとない場所になっていた。



この間、外出中にスマホでのデータ通信をあきらめたわけでもなく、いろいろ対応を考えてはいた。ワイマックスの古い契約が残っていて月390円で多少のデータ通信ができるはずだったのだが、実際にスマホで使用してみて通信量など、機能性の問題で使い物にならないことが判明。こちらも今更ながら解約し、現在最終的に、ワイヤ・アンド・ワイヤレスという公衆無線LANサービスに加入してみた。その結果、利用可能エリアは限られるが、一応使えることは確認できた。ただし、殆どの利用可能エリアはオプションエリアと呼ばれて追加料金が必要なエリアである。看板に偽りありの感が無くもない。日本の通信会社はすべてこんなものなのだろう。月に税込み390円だから、今のところもっとも安い選択肢ではあるようだ。しかし上野駅で一カ所、無料で無線LANを提供しているところもあるにはある。他にも探せばいろいろありそうだ。







道路の向こうは横山大観記念館




こんなわけで、 不忍池のベンチでスマホのデータ通信をするわけには行かないが、スマホは持ち歩いてはいる。ちょうどそんな時期にポケモンGOの騒ぎが始まり、急にこのエリアが騒々しくなったのであった。もともと不忍池のエリアではスマホを手にしながら歩いている人は多かった。カップルなどはスマホで写真を取り合っていたし、年寄りでもスマホで写真を撮り歩いている人は結構多かった。そんな次第でポケモンGO以前にこの場所がそれほど閑散としたいたわけでもない。桜の花見頃はもちろん、アジサイやハスの時期には花見の見物人も多く、外国人観光客も多かった。特に中国語は日本語と同じくらいの頻度で耳に飛び込んでくる。ただやはり暗くなる頃にはかなり閑散としていたが、それでもかなり遅くまで散策する人は結構いた。しかしポケモンGOが始まってからの騒々しさはレベルが異なる。まあ夕方の5時頃まではそれほどでもないが、5時半頃を過ぎると、二つの池の間の遊歩道で波のように通勤ラッシュさながらの混雑が 現出する。池に面したベンチに座っていると後ろの方で急に聞こえだした足音はまるで歩兵の進軍ではないかと思われるほどざわざわ慌ただしい。そろそろ帰ろうかと思って歩き出したが、彼らと反対方向に歩くのが困難なほどだった。その後も何度か同じ頃、同じ場所に行っているが、だいたい同じような状態が続いている。あるとき、当方もベンチに座りながらスマホを持って電子書籍を見たり、写真を撮ったりしていると、ポケモン仲間と思われるらしく、その場所でポケモンが獲れると思ったのか、すぐ隣まで来てポケモンをする若い人たちもいる。そして実際にポケモンが獲れたらしい会話が聞こえる。






このような、多くは少年とはいえ、大人も少なくない、あたかも歩兵の進軍のような慌ただしい群衆の動きを見ていると、どうしても何者かに動かされているか操られているような、不気味な印象を免れ得ない。実際にゲーム会社に動かされている訳だが、こんなゲームを通常のプライドを持つはずの大人が嬉々として遊んでいるというのは本当に信じがたい気がする。童心に帰るのもいいが、時と場所とする事を選んだ上で童心に帰ってもらいたいものだ。流行とはこのようなものかもしれないが。
いずれにしても、このようなゲームは例えばディズニーランドなど、特定の場所を限定した上で実施すべきものである。


 ポケモンGOの流行で、厭なというか、不安に思われることの一つに、このゲームを批判する意見が不当に無視されているのではないかという印象である。第一、政府もマスコミもこのゲームをバックアップしているのではないかとさえ思われる。こんな、道路や公共の場所にバーチャルとはいえエサ、ではないが、獲物のようなものを勝手にばらまき、人々を招き寄せるようなゲームが何の障害もなく通用する事態そのものが異常ではないのだろうか。ゲームのようなバーチャルな環境を公共の場に持ち込むことは関係のない人を巻き込むことになる。事実、死亡事故まで起きているというのに。




このゲームにも当然、賛否両論があり、マスコミでも両方が取り上げられてはいるが、どちらかと言えば否定派の意見が片隅に追いやられている傾向がある。特に肯定派の意見に特徴的なこととして単にこのゲームのメリットを主張すると言うよりも否定派の批判や否定派の人物を批判するような傾向が見られるのは特に厭な感じがする。たとえば次のような内容の記事があったのには驚いたのである。

このゲームが一つの原因で死亡事故があったことについて、その論者が言うには、すでに歩きスマホが原因で起きた交通事故は沢山ある。それらは沢山あるので報道されていないだけである。たまたまポケモンGOが流行し始めたので改めて事故が取り上げられたに過ぎない。だから特に問題にするほどのことでもない、ということらしい。こういう考え方を倒錯した論理というのだろう。すでに歩きスマホが原因の事故が多発しているのなら、新たに歩きスマホが前提となるようなゲームの導入にはことさら慎重になるべきではないのか。実際に死亡事故が起きたのは歩きスマホどころか、自動車の運転をしながらのポケモンGOだったはずである。そんなことを知ってか知らずかその論者は道路でこのゲームで遊ぶことを批判するのは自動車側の横暴だなどと書いていたように記憶している。このような見当外れで無神経な論理がまかり通るというのはまさに異常事態のように思われ、不気味でさえある。

今日の夕方にまた散歩でいつもの場所に立ち寄ってみた。日が暮れ、暗くなると、最近には珍しく、人が少なくなっていった。6時を過ぎてもいつものようにゾロゾロと大挙して慌ただしく群れてくるようなことはない。この場所にポケモンが出現しなくなったのか、あるいはこのゲーム自体が下火になったのか?しかし弁天堂の前は相変わらずごった返している。まあ波があることだし、実際にこのゲームも下火になってきたのかもしれない。このゲームもすぐに流行らなくなるさ、という人も多いが、確かにそうなるだろうとは思う。しかしゲーム会社や利権側も新たな手を打ってくるだろうし、同じように公共の場にバーチャル環境を持ち込むようなものがゲームに現出する可能性がある。何よりも心配なのは政府も産業界もマスコミも挙ってこのようなゲームを後押しし、社会全体としても抵抗もなくすぐに受け入れるような風潮なのである。

  それにしても携帯電話会社のパケット定額制や「かけ放題」 の強制には困ったものだ。せっかくのスマホのメリットを大きく損ねている。変なゲームを後押ししたりするのではなく、こういう問題を改善することこそが、真にスマホを多くの人々にとっての宝物に変えるのだと思うのですがね。


 


 

木曜日, 10月 24, 2013

ノートパソコンの解像度または精細度は早急に改善すべきで最近始まった高解像度化は促進すべき

以前にこのブログで報告したとおり、姿勢などの関係からノートパソコンの方がデスクトップより良いのではないかと思い、また別の理由もあって、昨年の夏ごろから従来のデスクトップに加えてノートパソコンを導入し、メインで使用するようになっていた。従来のデスクトップはマルチスクリーンでそのままにして併用し、主としてノートパソコンで入力作業をするようになり、さらにはスマートブリッジという、一つのマウスとキーボードで両方のPCを使えるデバイスも使ってそれなりに便利に使っていたのだが、一つ、大きく目論見とは異なる不都合が次第に顕著になってきた。一言で言ってそれは標準的なノートパソコンの、解像度というか、DPIが、ノートパソコンの使用条件に適応できていないということである。これが眼の疲労に著しく影響することが分かったのである。ノートパソコンを追加してさらにメインに使用するようになって便利にはなったのだが、眼の疲労はそれ以前にも増してひどくなったのである。これはひとえに解像度(DPI)とそれに対応した文字の表示とフォントデザインが不適切であるからと言えるだろう。

そんなわけでつい最近になって21インチのディスプレイを追加してノートパソコンをマルチスクリーンで使用するようになった。古いデスクトップの方は事実上、一つ のディスプレイだけを使用し、一方は机の下につないでいる。外してしまうとまた変なことが起きそうでこわい。マルチスクリーンも何度も設定を変えたり、つなぐデバイスが故障して取り換えたりしているうちにいろいろ不都合が生じてくる。

とにもかくにも、ノートパソコンに大きめのデスクトップ型ディスプレイを追加したことで、かなり目が楽になった。やはり、現在主流の解像度はデスクトップ型の設置距離に適しているのである。ノートパソコンでの使用条件では少なくとも現在主流のタブレット程度の解像度は、眼のためには最低限必要だろう。そこで昨日、ネットで調べてみたが、例のIGZOパネルなどを使用した高精細度のPCがすでに出回り始めていることが分かった。当方は今買い替えるわけにはゆかないが、これは歓迎すべきことで、促進すべきことだと思う。

残念に思うのはなぜこの流れがもっと早く進まかったのかということだ。もちろん技術とコストの問題があったのだろうが、とにかく企業の商品開発がスマートフォンと大型テレビに集中していたことが原因だろうと思う。個人的にはスマートフォンなどの新商品の開発よりも、従来製品の改善の方を優先すべきと思うのだが。特に眼の疲労や読みやすさ、眼に優しくすることは、この世界的な高齢化社会への対応ということで、最重要課題の一つだと思うのである。

月曜日, 6月 25, 2012

初めてのノートPC、眼のためにはひとまず正解。次に、何か眼によいサプリメントはないものか?

(PCやモバイルなどとのつきあい方、特に眼の健康との関連などを中心に、何度か、このブログで書いてきました。この記事に興味を持たれる方は是非、少し以前の関連記事もお読みください。)


この種の記事で前回だったか、その前だったか、今後はノートパソコンをメインにしてPC作業してゆくつもりであることを書いた。今月の初めにそれを実行に移し、パソコンを使い始めて以来始めてノートPCを使い始めた。これまでノートPCを使わなかった理由はまず価格の問題だったが、他にできるだけ大きなディスプレイが良いと単純に思っていたこともあるかもしれない。一種の欲張りである。

(特に位置と角度の問題に関して)
現在のところ、ノートPCに期待したところの一番のメリットは間違いなく得られたようだ。姿勢による疲労と眼そのものの疲労が、デスクトップPCのディスプレイだけを見ていた頃に比べてずっと楽になったように思う。この間、一時的にタブレットを併用していた。たとえば翻訳作業の際に、PDFの原文をタブレットに表示させ、PC用ディスプレイの手前に、ちょうどキーボードとディスプレイの中間にノートPCのような角度で設置して、上のPCディスプレイに入力用のソフトなどを表示させ、右側のもう一つのディスプレイに他の資料などを表示させていた。この場合もタブレットを使わなかった時に比べて、かなり楽になっていたと言える。


タブレットに関心を寄せたきっかけは昨年、携帯電話の機種変更をした事が一つのきっかけになっている。というのは、携帯の機種を変更した結果、カメラの質が格段に向上していた事とともに画質が印刷画面以上に精細になっていることに感動し、タブレットにもこの程度の画質を期待したことにもある。とにかく読みやすい書体がきれいに表示される事が眼の疲労を軽減する条件の一つだろうと考えていたもので、タブレットもこれに近い解像度(普通言われる画素数の意味ではなくDPI、つまり画素の小ささ)であるなら、ずっと見やすいだろうし、もちろん見る角度の問題もある。しかしタブレットでは、どうしてもメインの作業に使うわけにはゆかず、ノートPCを考えていた次第である。


ノートパソコンを導入して半月ほど使用してみた結果、見る角度と位置の問題では期待どおり、デスクトップのディスプレイに比べて格段に楽になったと言える。もちろんこれには個人的な問題、体質や体格の問題と関係する面も大きいことは承知している。


長時間PCのディスプレイで文字を見ていると目が疲れるのは誰でもそうだが、特に私の場合、最近は上下に二重に見えるようになる現象に悩まされていて、それが特に真正面に近い位置の画面を見据えながらの作業に起因しているのではないかと推測するに至ったのだが、それが証明されたように思われる。個人的な要素は大いにあるとは思うけれども。もちろん、長時間の使用で視力が低下するという現象が全くなくなったわけでもないけれども、少なくとも二重に見えることが少なくなった事によるメリットは大きいように思う。


(特に解像度の問題に関して)
ただ、画面の精細度については、だいたいデスクトップPCのディスプレイとはそれほど変わらないようで、これはちょっと期待はずれだった。今回初めてノートPCの基本サイズはおおよそ15.6インチで横長の「解像度」(個人的に、この縦横の画素数が解像度とされているのには違和感がある)にほぼ統一されていることがわかり、17インチも同じような縦横比で統一されていることがわかった。個人的にはもう少し縦の長さがあれば文字をもっと大きく表示させられるのだがという印象を持つ。

(フォントの問題)
私の場合、もうパソコン初心者ではないが、フォントに関する知識、とくにアンチエイリアスに関する基本的な知識を得たのは比較的あとの事である。最初の頃はもっぱらソフトに付属するヘルプで使い方を勉強したのだが、フォントに関する知識はあまりそこからは得られなかったように記憶している。フォントに関する知識はもっぱらメールマガジンとか、ネットに散在する親切なサイトやブログなどから得たように思う。しかしフォントに関する知識は初心者にとってきわめて大切なものである筈だ。


今回のノートPCは東芝製だが、付属のマニュアルやPCの初期画面はきわめて初心者向けに構成されている。初期画面にはパラちゃんという風船のようなキャラクターが動き回り、子供相手のような話し方で説明をする。しかし、初心者、特に年配の初心者にこそ重要だと思われるフォント、なめらかに表示できるアンチエイリアスに関する知識など、全く触れていないというのはどうしたことだろうか?付属しているインターネットエクスプローラにしてもそうだが、「パソコンで見るマニュアル」で表示されるのは小さくざらざらとした、初心者や特に年配者には不親切なフォントなのである。


年配者をターゲットにしている側面もあるアンドロイドなどのタブレットPCがフォントを重視しているように見えるのは、その意味で正しいと言える。

(その他の問題とまとめ)
基本的な問題としてノートPCに期待した根拠と言えば、2011/12/12の記事に書いた内容のとおりだが、特に次の箇所を、ここにもう一度引用したいと思う。
「一般に、物事を考えながら文字を書いたり入力したりする場合は、下を向くほうが集中できるのではないか。そして紙なり、画面なりから眼を解放する場合は顔を上げて遠くを見たりする。その方が自然なのではなかろうか。デスクトップのパソコン画面ではそれが逆になる場合が多いのである。
教師や学者が学生に講義する場合は、伝統的に黒板の類を使うものだが、自分自身の研究では机の上に本やノートをおいて作業をするのが普通であった。個人的な研究室や書斎に黒板などをおいて研究する研究者の話などはあまり聞かない。」

ここで言っていることの一つは、文字を読んだり書いたりする場合のように近距離の対象を注意してみる場合、人間の姿勢は下向きに近いのが自然であり、正面を見るのはある程度遠距離の場合が多いのが自然な状態ではないかということである。これが正しいとすると、せっかく入力作業用にノートPCを据えても、その向こうにさらに参照用のデスクトップディスプレイの画面があり、さらに右側にもマルチスクリーンのデスクトップディスプレイがあるのでは、あまり遠くに眼をやることもできないのではということになる。しかし、これは仕方のないことで、まだ真正面が巨大なディスプレイでふさがれているより、マルチスクリーンで分断されている方が救いがあるように思われる。仮に、三つのソフトによる三つの画面が必要な場合、巨大な画面にすべてが表示されるよりも、それぞれの画面が別々のディスプレイで表示される方が自然で眼にも良いのではないかと思う。


(スクロールの問題)
もう一つ、眼のために良くないと思われるPC画面の特徴に、これも文字の場合だけだが、縦のスクロールがある。PCでは殆どの場合横書きなのでスクロールは縦方向になるが、この横並びの文字列が上下方向にスクロールされる場合の視覚の混乱が視力と注意力の低下につながっている事は容易に推察できる。事実スクロール時の認視の混乱が原因で生じた読み間違いなど、きわめて重要なミスを犯したことがしばしばあるのは私だけだろうか。

この問題は縦書きを横にスクロールする場合にも生じる問題であろうと思われるが、しかし、伝統的に昔の巻物は横スクロールであった。これはネットでも調べてみるとわかるが、横書き文字の巻物でもそうだった。聖書の死海写本の写真などを見ても横スクロールになっている。まだよく考えていないけれども、どうもスクロールは横の方が自然な感じがする。もちろん横書きが主流の現在、縦のスクロールは避けることができないし、それに横スクロールが加わるとなおさら不便であることは当然である。


(眼によいサプリメントはあるだろうか)
数ヶ月前、置き薬のセールスマンに説得されてあまり聞いたことのないアミノ酸のサプリメントを購入してみた。運動能力を高めるというので、関係あるかどうかはわからないが、当時特に眼の事で悩んでいたこともあり、眼に何らかの効果があればもうけものと思ったのだが、短期間ではあったが効果がないものとしてそれは打ち切った。

現在のところ2,3年前から冷凍のブルーベリーを欠かさないようにし、ナッツ類とともにヨーグルトに混ぜて朝食代わりにしているが、まあ気休め程度だろう。

今回、スピルリナと、試しにコラーゲンを某所に注文して送られてきた。スピルリナはクロレラのような藻類で、錠剤に固めたものである。これは過去に一度利用していたことがあり、感触は良かった。一度その代替にクロレラを試したことがあったが、これは体質に合わず、消化できなくてもうこりごりである。スピルリナにはフィコシアニンという青い色素が多いというので、同じ青い色素で名前も似ている、ブルーベリーのアントシアニンと同じ効果があるのではと期待して調べてみたが、そういう記事は見つからなかった。しかしまあ栄養バランスということで、眼にも良いだろうという意味で、勧められる某所の宣伝に期待して購入した次第。コラーゲンも眼に悪いはずはないだろうとの期待である。


送られてきた箱の中にヒアルロン酸の効能を説明したビラが入っていた。それによると、眼の硝子体の形を保つために欠かせない物質とある。硝子体の形を保つと言うことは、アントシアニンの効果よりもむしろ当面の当方のニーズに合っているように思われる。改めてネットで調べてみると、ヒアルロン酸を主成分とするサプリメントの広告は多数あり、テレビなどで老化防止と美容の効果をうたって宣伝している某栄養剤もヒアルロン酸を主成分にしていることに始めて気がついた。これではなんとしてもヒアルロン酸を試してみる他はあるまい。何しろ眼の健康の問題は死活問題と言えるほど切実な問題なので。







日曜日, 6月 12, 2011

LED電球についての実感

LED電球。何時かはこの言葉もなくなるだろうけれども、日本語として納まりの悪い言葉である。
それはそれとして、白熱電球への代替がかなりの急ピッチで進んでいるとのこと。最も省エネ効果が期待される分野だけに良い傾向かも知れない。私はこれまでに電気スタンド用として2個を購入して使っている。最初からスタンド向きにデザインされたLED発光体を組み込んだスタンドも沢山販売されているが、光量の多いタイプは値段が高くかつ場所を取りそうなデザインなので敬遠し、いずれも白熱灯用のスタンドやスポットライトと口金の小さいタイプのLED電球との組み合わせで使用している。

いずれも白色だが、色調には一応満足している。少なくとも蛍光灯の白色よりは気持ちの良い白色である。蛍光灯の色は最近は昔に比べてずいぶんとよくなったが、それでも独特の陰気な雰囲気からは完全に開放されることがなかった。それは水銀の輝線スペクトルに起因しているのに決まっている。LED電球の白色もいわば合成された白色であるから、自然光のようにはゆかず、「演色性」が悪いといった批判があり、確かに多少はそういう印象もある。しかし、総合的な評価はどうであれ、水銀の輝線がなくなったことのメリットの方が大きいような気がする。

という次第で、個人的には白熱灯よりも蛍光灯の代替が早く進んで欲しいと思っているのだが、色々な理由から、なかなかそうはゆかないようだ。少なくとも節電効果は白熱灯の代替の方が大きいことは確かである。それに従来蛍光灯が使われていた場所の代替は照明器具との兼ね合いもあって難しいのだろう。個人的にも現在の天井灯に使われている蛍光灯の代替にはまだ無理なところがある。

現在販売されている主流は従来の白熱灯の口金に合う電球タイプである。しかし日本の場合、天井灯には家庭でも蛍光灯が使われている場合が多い。事務所や公共の場ではもちろんそうである。また天井灯などの室内のメインの照明として、従来の電球用の照明器具が、LED発光体に相応しいかどうかとう問題もある。要するにまだLED照明によるデザインの基本形が確立していないということだろう。今はまさに照明デザイナーや照明技術者の出番であろうと思う。

先日、小田急デパートで開かれた展示会に行ったときのこと。下からエスカレーターで9階まで上がって行ったので各階の様子が垣間見られたが、宝石売り場の階に上がってきたとき、宝石の陳列ケースに真っ白い光のスポットライトが手前から奥の方まで、ずらっと並んでいるのが見えた。もちろんLEDランプの色であるが今までになかった新しい光景であった。近くによって見なかったが、宝石類がどのように見えたか、気になるところである。


いずれにせよ蛍光灯への代替が進み、1日も早く日本の公共の場から陰鬱な水銀の輝線が消えてゆくことを期待したい。