土曜日, 7月 07, 2007

音楽と都市

もう土曜日になってしまったが・・・、先の日曜日、テレビでN響アワーを見たあと、テレビを消そうか、どうしようかなと思っていたらETV特集が始まり、思っても見なかったことに、音楽評論家の吉田秀和氏の業績を紹介する番組が始まった。私は特別なファンでもなかったが、以前はよくラジオの音楽番組や新聞雑誌の音楽評論などで馴染みのある方だったから見ないわけには行かずに見始め、多少は他のこともしながら、最後まで見終わった。

実は最近、吉田秀和氏のある文章を思い出すことが多かったのである。というのはこの5月の連休に六本木の方に出かけ、六本木ヒルズや今話題のミッドタウンを見にいったことと関係している。その思い出していた氏の文章というのは何年か前、まだ新聞を購読していた頃、音楽時評か何かのエッセーで東京の都市計画に着いて触れた文章であった。音楽のことには全く触れられていなかったから音楽時評といった見出しではなかったのかもしれない。しかし氏の音楽評論の中でも建築について触れた文章は多かったように記憶している。想いだしたその文章というのは、東京の町はいつまでたっても美しくならない。それは都市計画が無かったからである。それに対し、京都は唐から学んだ都市計画がもとになっているから今でも美しい町である、といった内容だったように記憶している。

東京の街並みに対するそういう思いは以前から私も同感だった。もちろん東京に美しい場所や建築は無いわけではない。桜の時期の、また桜が咲いていなくても千鳥が縁公園とか、そういった古典的な場所や東京駅のような明治の建築など、心を豊かにしてくれるような美しさを持つものがある。しかし現代的な都会的な街並みという点では満足感を与えてくれるような場所にはあまり遭遇したことが無い。

私は大阪府出身なので20台始め頃まで当時の大阪市内は結構見ていた。よく大阪の町はごみごみして猥雑だとか言われるけれども、たしかにそういうところは多いかもしれなかったが、結構美しい街並みも多かった。特に有名なのは御堂筋の一部分と堂島、中之島のあたりだが、当時、東京にはこういう場所がざらにあるのだろうと思っていた。しかし現実の印象ははっきり言って失望の連続だった。丸の内のビル街にしても銀座通りにしても、多くの店舗は楽しさに満ちているとも言えるかも知れないが、街並みとしては少しも美しくはなかった。個々の建築をとってみても、以前の丸ビルも今の建て替えられた丸ビルをみても、もちろん内部は立派なのだろうけれども、また外部も立派ではあるが、全く美しいとは思えなかった。

超高層建築にしても霞ヶ関ビルと新宿西口、都庁あたりの高層ビル群はかなり遠方から夜景などをながめると相関だが、建物としてはどれも味も素っ気もない。新宿の都庁近くの超高層ビルには東京に住むようになる以前をふくめ2度ほど行ったことがある。とにかく目的のビルまで歩いて行くのが退屈で疲れる。新宿駅の巨大さと複雑さとがあいまって、新宿には駅に行くだけで疲れてしまうという印象がこびりついてしまっている。

そんな中で六本木ヒルズの超高層ビルは確かに、最近の有名なビル群のなかでは出色のデザインだと思っていた。二駅ほど離れた場所からそこまで真直ぐな道路の終端にその超高層ビルを見ることがよくあるが、雲をつくその姿は確かに見ごたえがある。しかし特に用もないし、回転ドアによる不幸な事故の印象もあり、わざわざ出かけようと思うことはなかったが、この5月の連休にふらっと、そのあたりとミッドタウンに行ってみたのだった。

インターネットで調べてから行けばよいものを行けば分るだろうと思って適当な駅で降りたのが悪かった。とにかくあたりは地形が複雑で山あり谷ありである。そういうところに超高層ではないまでも、大きな高層ビル群が密集しているのだから、見通しは恐ろしく悪く、道路は複雑極まりない。とにかく一般住宅とオフィスビルなどが混在し、電線の地中化も一向に進んでいない雑然とした街区の向こうに六本木ヒルズの超高層ビルが現れた。

間近で見るとそれほど巨大には見えなかった。となりの豪華マンションといわれる建物も以外に豪華な感じはなく、横の巨大なビルとの対比のせいか、いやに天井の低い窮屈な建物に見えた。複雑な地形を利用してのことか、敷地の端が欄干になっており、その下方に前庭のようなところがあってロックコンサートをやっていた。スピーカーの歪んだ大音響が響いている。趣味の問題かもしれないが、こういう場所ではスピーカーを使わずにできるようなブラスバンドでもやった方がよいのでは、とも思う。日本にはブラスバンド人口も多いと聞いている。

後から思ったのだが、こういう複雑な起伏の大きい場所には超高層ビルは向かないのではないだろうか。超高層ビル群を建てるなら、足立区のように広く真平らな場所が向いているのではと思う。

話題のミッドタウンの方だけれども、超高層ビルは色彩にやや特徴があるけれども割と平凡な建物で、外からは特に見ごたえがあるようなものではなかった。そのビルを通り抜けると庭園になっている。庭園の中にあるデザインサイトの前に行ってみた。庭園の中で、外部は意図的に目立たないようにデザインされたのだろう。内部が面白いのかもしれないが中に入る予算もなく、庭園の中にある平坦な石の上に腰をかけてペットボトルのお茶を飲みながら、周囲を漫然と見ながらしばらく、断続的に、友人と元気のない、不景気な話を続けた。

座った場所の目の前はマンションらしき建物でその横に一応別の建物だが棟続きのように接触してサントリー美術館が建っている。美術館の両翼の建物は良くわからないが住宅マンションとしか思えない。住宅と美術館がくっついているというのはちょっと理解できない。興ざめである。友人も前の方が良かったと言っていた。

後ろを向くと庭園の向こうに普通の街区が見える。境界の外の道幅が狭いうえに垣根も生垣も作っていない。こちらも興ざめである。借景というにはつまらなすぎる眺めである。

この日の帰り道、例の吉田秀和氏の東京と都市計画についての文章を思い出し、その日以後も頭の中に出没していたのだった。

音楽評論家が美術や建築に関心を持つのは少しも不思議なことではない。むしろ当然すぎることだろう。それでも氏が音楽評論の文章の中でまで、あるいは音楽評論の記事を無にしてまで建築や、特に都市計画について書いていたのは何故だったのだろうと思うことがあった。

音楽は建築にたとえられることが多いが、都市とも関係が深い。思いつくのはハイドンやモーツアルトの交響曲に都市の名前がついているものが多いことである。もちろん作曲家が自身でつけた名前ではなく因縁のような関係でつけられたようだが、確かにハイドンやモーツァルトの交響曲には何となく都市のイメージが持つといってもいいような曲も多いような気がする。ベートーベンとロマン派以降の交響曲では都市を越えてイメージが広がっていったように言えるかもしれない。田園、森、風土、一国の国土、とイメージが広がっていったのかもしれない。中には地球、太陽系、あるいは銀河系のイメージに達したものもあるかもしれない。