月曜日, 4月 18, 2022

二年以上にも及ぶマスク生活の弊害が顕在化し始めたのではないかという不安

 先日、知り合いの90歳代の女性が、肺のレントゲン写真で白い影が見つかって心配しているという話を姉から聞かされていたところ、その女性と直接電話をする機会があって、姉からは結核かとも聞かされていたがそうではなく、軽い肺炎であるらしいことがわかった。結核にしても軽度の肺炎にしても、このような感染症は個人の免疫力の低下が大いに関係するように、この数年来に得られた知識からすぐさま判断して、この2年間以上にも及ぶコロナ対策で繰り返し喧伝されている『基本的な対策』として真っ先に挙げられるマスク着用の弊害について、当初から一部の医学専門家が警告してきたことが思い起こされたのである。ユーチューブ動画で見たのだが、その先生は当初から、多分もう二年以上は前になると思うが、数年後(2,3年後だったかもしれない)にはマスク着用の弊害が顕在化して、国民の免疫力が平均的に、大幅に低下しているだろうと予測していた。そうこうしているうちに実際に2年以上が経過した今の身近に起きた話なので、当然その電話で私からそのような話をしたところ、彼女の方も、今回診断を受けたお医者さんからも同じようなことを言われたそうである。担当のお医者様からもそういわれたとのことで、その点では安心したが、一方、現実にマスク着用の弊害がこのような形で表れてきているとすれば、それは今後ますます、実に心配なことである。もちろん、今回のコロナ騒ぎ以前から老人の肺炎は年々増加してきているわけで、彼女の今回の発病が2年間にも及ぶマスク着用の弊害による免疫力低下が原因とは断定できないが、マスク着用以外の原因があったとしても、現実にマスク着用のデメリットがそれに付加されていることには間違いがないわけであるし、一方、彼女自身90歳を超えているとはいえ人一倍健康で、毎日結構な距離を歩きつづけてきたような人で、少なくとも同年代の人並み以上の抵抗力を持つ人であったことを考えても、長期のマスク着用がなければ今回の発病は避けられた可能性も十分に考えられると思っている。

最近になって、限定つきではあれ、マスクを外すことを勧めるような政府機関がソースのテレビ放送を聞く機会も出てきている。頻度は少ないが。まあいろいろせめぎ合いもあるのだろう。電車や駅の構内でも、マスク着用を要求する貼り紙は殆どなくなっているし、そういう構内放送や車内放送の頻度も格段に少なくなってきているようである。

それにしても、今日の午後も天気が良かったから公園を散歩をしてきたが、 大半の人々が頑なまでに、とあえて言いたいが、マスクをとらないで散策したり、自転車に乗ったり、走ったり、ウォーキングと言うのだろうか、競歩のような歩き方をしたりしている。まあ顎にかけているだけとか鼻を丸出しにしている人たちも含めると、着実に外している人が増えているようには思えるが、一方では呆れるほど目深に、殆ど眼の下にまでマスクをかけているかなり多くの人達を見ると、やはり本心から被感染防止を考えてのことかとも思われる。もう暗くなって、歩く人もまばらな広大な公園の中でもそうなのだからもう、殆ど本能のようになってしまったのだろうか?日本ではマスク着用が法律で義務化されるようなことはなかったとはいえ、マスク着用の義務化を解かれたイギリスでは、屋外で義務化が解除されたと報道されている。まして義務化もされていない日本では一刻も早く屋外でのマスク着用を止め、低下した免疫力を取り戻すようにしたいものだと思う。(4月17日に記述開始)

日曜日, 4月 03, 2022

いまこそマスクの効果を再検証すべき(比較の重要性)

 新型コロナ感染症対策として公共の場とプライベートの場でマスク着用が日常的になって3年ほど経過した。緊急事態宣言も蔓延防止何とかも解除された今、あらためてマスク着用の効果や弊害を検証し、再検討すべき時期に来ているのではないだろうか?国や自治体やマスコミがそれをしないのなら、各々の個人が自分でそれを行うよりほかはないだろうと思う。

再検証を行うにはいろいろな切り口、あるいは筋道があるが、極めて基本的でありながら、意外と無視あるいは軽視されていた点は、他の感染経路との比較という切り口である。もちろん比較には意味的な比較と量的な比較が含まれる。とくに精度はともかく、大雑把でも量的な比較は重要だろう。

比較的最近だが、某テレビ局の賢明なる女性アナウンサーが次のような意味の発言をしていた:マスクよりも手洗いあるいは消毒の方が有効な対策であるはずなのに、現実のにはマスク着用ばかりが喧伝されるのは本末転倒ではないかと。これには私も我が意を得た発言だと思ったのである。

 

 パンデミックが始まった当初は手洗いの必要性が強調されていた。それに対してマスクの効果は疑問視される見解が多かったように思う。これはテレビなどのマスコミにおいてもそうであった。この時点では、結構、手洗いの効果とマスクの効果が比較されていたとはいえる。しかしその後、マスク着用の推奨や義務化ばかりが自治体の広報やマスコミで話題として盛り上がり、広い屋外においてもマスク着用が当然のエチケットないし義務のようになってしまい、定着してしまった感がある。この間、マスクにも感染防止効果があるという研究などが紹介されたこともあるが、それらの研究は、マスクによるウィルスのフィルター効果という一点に焦点を当てて調査されたものであって、マスク着用の総合的で包括的な効果とは言い難いものであったように思われた。

いま改めて振り返ってみると、この頃を過ぎるともう、マスクの効果は手洗いの効果との比較という観点が全く抜け落ちてしまい、単にマスクにも一定の効果があるという一点のみでマスクが前面に押し出されるようになり、広報や報道による注意の呼びかけが行われる際も必ず「マスク着用や手洗いなど」と、マスク着用が優先的に喧伝されるに至っている。実際当初から、店舗や公共施設に入る際の人々は、マスクはほぼ100パーセント着用しているのに、アルコールで手洗いを実行している人はそれほど多くはなく、店によってはアルコール瓶が空のままで放置されてあったり、どこに置いてあるのかわからなかったり、そもそも入口に置いていないケースも見られたのである。この間、マスク着用の効果が認められたからと言って、手洗いないし消毒の重要性が低下したという報告があったわけではないにも関わらずである。

ここで改めて両者の効果を比較してみると、私自身はこれに関する専門知識は持たないが、そもそも最初の経緯からして、手洗いないし消毒によって防止できる感染経路の方が圧倒的に確実で可能性が高いことは明らかであったように思われる。

重要で見逃されがちな一つの要素は、マスクで防止できるとされる感染経路手洗いないし消毒で防止できるとされる感染経路とは、完全に同じではなく、異なる部分が多いという点である。この点が事実上、全くなおざりにされてきたように思われる。

手洗いないし消毒で防止できる可能性のある経路として有力視されている重要な経路はトイレである。 ネットを通じてではあるが、複数の専門家が、コロナ患者から排出されるウィルスの圧倒的大部分は腸から排泄物を通じてであるという知識を得ている。この経路の場合、マスクは何の効果ももたらしていないことは明らかだろう。むしろマスクに新たなウィルスが付着する可能性すら考えられる。もっとも水洗トイレの場合は水流による飛沫が考えられるが、飛沫が発生するのは自分の排泄物を流すときだから、やはりトイレ感染の場合はマスクは意味がないことになるだろう。

一方、当初からこのウィルスは細菌兵器であるという噂がある。細菌兵器と言えば人工ウィルスという可能性に言及される場合が多いが、細菌兵器と人工ウィルスとはまた別の概念であって、感染経路としてはやはりこの場合も手洗いと消毒で対応すべき経路にならざるを得ない。ウィルスは目に見えないのである。マスクという目に見える対策品で防げるような細菌兵器の使われ方が行われるとは思えない

 このようにいろいろな局面から分析してみると、マスクの効果は手洗いや消毒に比べて圧倒的に低いと考えざるを得ないが、現実にはその逆を想定するようなマスク対策が行われている。他方でマスク着用のデメリットや弊害もますます顕著になってきているように思われる。

弊害についても考察したいが、取りあえず今回は『比較』の重要性に焦点をあてて考えてみた。かの有名な哲学的科学者のマッハは、比較することこそが科学の始まりであると言っている。この考えには大いに賛同すべき内容が含まれていると思うものである。