月曜日, 9月 18, 2017

目の健康とPCディスプレイ ― 個人的には有機ELに期待したいのだが

眼の健康と視力低下への対処の問題は現代社会が取り組むべき最重要な課題のひとつだと思う。もちろん、言わずと知れた人口高齢化の傾向ともかかわりが深い。端的に言って高齢化に伴う視力の劣化の問題は、がんなどの全身病や体力低下の問題にも増して重要だと思っている。何はともあれ視力さえ維持できれば仕事であれ楽しみであれ、個人を超えたもっと大きな目的であっても、何とかなることが多いのだから。それに、視力は聴力などに比べても比較的若いころから老化しやすいし、私もそうだが近視や乱視の人は多いから、老化による劣化は大幅に助長されることが多いということになる。

このような意味で視力自体や眼精疲労の医学はもちろんだが、環境的な問題、とくに視覚メディア、中でも文字を主体とする視覚メディア、端的に言ってPCディスプレイへの取り組みはその重要性から言って、日本のみならず世界的にも、他の分野に比べて大幅に遅れを取っているのではないかと思う。

私くらいの年になると、すでに若いころから、周辺には、歳をとって視力が落ちたために本を殆ど読まなくなったという人も多かった。今となっては私自身、もうその人たちの年齢を超えているから、当然その状況はよくわかる。今もPCを使って文字を読み書きする仕事をしているけれども、本当に日ごとに眼が疲れやすくなり、1日に作業に耐えられる時間も大幅に減っている。年齢の近い身内や友人知人たちも当然そのようになっている。特に、本はまだしもパソコンの画面はもう見なくなったという人は多い。もっとも、元来がパソコンを日常的に使っていたという人たちではないのだけれども。

本とパソコンを比べると、当然パソコンの方が格段に目が疲れるというのは常識というよりも、殆どの人にとって体験済みの事実で、直観的にも自明ともいえる。しかし小さなスマホや携帯電話や、逆に大画面のテレビなども、原理的にはパソコンの画面と同じ性質を持つものなのだが、目の疲れ具合や使用感は異なっている。例えば私とかなり年の離れた姉はもう80歳くらいだが携帯のメールは結構よく使っているみたいで、タブレットPCも時にはみているらしい。私は逆に使いかっての点でPCメールに慣れているから携帯メールは苦手で、使うときは苦労するし、多少長文になるとPCから転送して使うこともある。ただ、携帯やスマホの画面自体は文字でもPCで作業するときよりも目が楽である。大画面のテレビはそもそも文字を見ることは主目的ではないし、見る距離も離れている。

というわけで目の疲れと劣化に最も寄与しているのがパソコンディスプレイであることは確実といえるが、他方、紙の印刷物に比べて文字をいくらでも大きくできることや明るい画面で見られるということで、一面では目に優しい面もあるといえるのは皮肉ともいえる。いずれにしても文字の読み書きが主体になる作業では現在でも依然としてパソコン画面が最も大なる視力劣化の元凶であることに間違いがなく、それがために多くの人にとって年を重ねるにしたがってパソコンがもたらす恩恵から遠ざからざるを得ない状況が生じているのである。それにも関わらず、業界も政治家も本気でこの問題に取り組もうとしていないのではないかと思わざるを得ないのである。

最近、有名なオーディオ評論家がネット記事で有機ELのテレビを比較評価し、また有機ELの優位性を喧伝している記事を見て興味深かった。ある程度はすでに知られていることだったが、有機ELは基本的に明るさでは現状で液晶に比べて劣っているものの、ダイナミックレンジでは圧倒的に優れている、つまり黒が本当に真っ黒に表示できるという点で圧倒的に優れ、それがまた解像感や立体感、つまり奥行きの表現力にもつながっているということなのである。

このように明るさではそれほどでもないがダイナミックレンジで優れているという点は、本当のところテレビ以上に、PCディスプレイに望まれる特徴ではないのだろうか?

PCディスプレイで目が疲れるのはやはり、何といっても画面が明るすぎるからである。表面反射の問題もあるが、有機ELとの比較でいえば、端的に言ってダイナミックレンジが狭いからということになろう。つまり液晶では白い部分を暗くすると、文字の黒い部分とのコントラストが低下するから明るくせざるを得ないということになる。こうしてみると、有機ELの、明るさは十分ではなくとも黒が真っ黒に表示できる性質は、PCディスプレイに使うことによって、大幅に目の健康に寄与できると思うのである。これは大画面テレビの画質向上よりもはるかに有意義な使い方で、開発も優先すべきではないかと思うのである。

繰り返しになるが、PCディスプレイが目を疲れさせる原因の基本は白が明るすぎることに尽きるのではないか。数年前からブルーライトの弊害が喧伝され始めたが、結局ブルーライト対策などそれほど有効ではないか、そもそも有効になるほどだと画面の色調が変に変わってしまうので実用にならない。ブルーライトの有害性というのは確かにあると思う。例えば目に良いといわれる植物葉緑素の性質を調べてみると、確かに青色光線の吸収が大きいことに気づく。もう数年前になるが、それに気づいて急いで観葉植物を購入してPC周りに置いたりし始めたが、それでPC画面を見ずに済むわけではないのでほんの気休め、ブルーライト保護シートも同じようなものだろう。

ハードとソフトのメーカーも、これまでどこまで本腰を入れてこの問題に取り組んできたのだろうか?
かつてはホームページの背景なども目の保護を慮って色やテクスチャーをつけるのが一般的だったように思うが、今はポータルサイトや企業のホームページの殆どは背景が白になっている。個人設定で背景色を選択できる場合もあり、ファイアフォックスでも多少は設定できるが、個人的に使えるような色が少ないし、どのページでも有効に使えるわけでもない。ソフトウェアについてもそういう傾向があり、例えばこれまで普通の黒い文字が使われていたメニューや設定項目などに見づらい灰色の文字が使われていたりする。やたらに見栄えを目新しくしたいという意図だけを見るのは思い過ごしだろうか?

ウィンドウズのフォントについてもそういうことが言える。例えばMS明朝は白っぽくて大いに目の疲労に寄与している。だから用途によってMSゴシックを使用するが、ごつごつして流れが感じられず、美しくない。他のフォントも使えないこともないが、これらが標準として通用してしまっているからどうしても使わざるを得ない。

キーボードにもそういう傾向がある。最近はなぜか黒いものが主流になっているようだ。白いものもなくはないので白いのを選ぶと、文字が灰色になっていたりする。どうしてわざわざこんなところでデザインをいじるのだろうか?普通の本の文字を灰色にしたりするだろうか。そんなことをしたところで美しいデザインにはつながっていないように思う。


・・・・・・・・・・そんなわけで、当面、個人的には有機ELに大いに期待しています。その他、当然ですが眼の医学を含め、高齢者にも若い人にも関係なく眼に優しく、眼が疲れずに読み書きできる社会が到来してほしいものです。これも夢物語なのかな。