月曜日, 11月 08, 2010

無題

数日前に読み終わった「梅棹忠夫 語る」の中の件をまた思い出している。
以下、記憶をたどって引用しているので本の記述そのままではない。

氏曰く「宮本武蔵になるな、技を極めることの価値はわかるがそれが人を殺す技というのは淋しい」

また、新渡戸稲造の「武士道」をまったく読んだこともなく全否定している。


個人的に、私も護身術としての武術はわかるが、求道的な武術や剣術などは理解できたことがない。ただ、理解できたことがないだけであって全否定するだけの自信はなかった。

また新渡戸稲造の「武士道」もこの年になるまで読んだことがない。岡倉天心も、鈴木大拙も読んだことがない。しかし読まずに全否定するだけの自信を持ったことはなかった。


同じではないと思うが、武術や武士道の精神性というものは無神論、有神論とどのように関わっているか、考えてみたい。

梅棹忠夫は無神論者と思われるけれども、本の中では「老荘の徒や」と語っている。
宮本武蔵は無神論者ではなかったようだし、新渡戸稲造はもちろんクリスチャンである。

ところで宮本武蔵は絵を描いたが、絵をどのように考えていたのだろう。絵について何か語っているのだろうか。国立博物館で見た事がある。絵を描いていなければ評価も違ったものになっていた、という事はなかっただろうか。

こういう問題に付いては常に疑問形でしか書くことができない。

月曜日, 11月 01, 2010

少女の合唱と少年の合唱

合唱については結構いろいろと考える事がある。

例えば現在世界的に、ポピュラー音楽では合唱というのはあまり人気がないようにみえる。デュエットとかカルテットとかは結構あるが、多人数の合唱というのはあまりないのはなぜだろうか ― というようなこととか・・・これはやはり歌手の個性が出ないからだろう。

あるいは、合唱とピアノは必ずしも最適の組合せではないな、とか、

近頃は変わってきているかも知れないが、小学校から高校まで、音楽の授業と言えばピアノ伴奏の合唱ばかりだった。はっきり言って面白くなかったな、というようなこととか、

その他、全部言えばきりがないが、いろいろと考える。


最近思った事は、ヨーロッパには教会音楽の伝統もあり、ウィーン少年の合唱合団など少年合唱団が沢山ある。それに対して日本ではどちらかと言えば少女合唱団が活躍しているように見える。なぜなのかな、と思ってちょっと気になりだした。

たしかに少年と少女の合唱は一緒にするには馴染まないところがある。大人の男女のようにはっきりした音域と音色の違いがあるわけでもないので中途半端なところがあるのだろう・・・などと考えた。

実は下記を聞かせていただいた後このような事を考え出したのだけれども
http://www.youtube.com/watch?v=KJmU9Im-Evk&feature=youtu.be&a

後から調べて見ると、これを歌っているNHK東京児童合唱団のホームページを見ると男の子も何人か混じっている写真がある。ウェブで調べて見ると大抵の児童合唱団は少年少女合唱団となっていて、少なくとも名前には少女だけの合唱団はクラウン少女合唱団だけだった。

しかし放送で児童の合唱をきくとき、大抵は少女だけの合唱に聞こえるときが多いのである。先のNHK東京児童合唱団のホームページ写真を見ても少年の人数は非常に少ないし、少女だけしか映っていない写真もある。男の子の入団希望者が少ないことも原因のひとつだろうが、日本人には、というより日本の大人には少女合唱の音色が好まれるのではないだろうか。私自身、少女の合唱の声質は非常に気持ちが良くて好きである。

いっそのこと少女だけにしたらどうか。というより、少年の合唱と少女の合唱は分けた方がいいような気がする。