土曜日, 7月 07, 2007

音楽と都市

もう土曜日になってしまったが・・・、先の日曜日、テレビでN響アワーを見たあと、テレビを消そうか、どうしようかなと思っていたらETV特集が始まり、思っても見なかったことに、音楽評論家の吉田秀和氏の業績を紹介する番組が始まった。私は特別なファンでもなかったが、以前はよくラジオの音楽番組や新聞雑誌の音楽評論などで馴染みのある方だったから見ないわけには行かずに見始め、多少は他のこともしながら、最後まで見終わった。

実は最近、吉田秀和氏のある文章を思い出すことが多かったのである。というのはこの5月の連休に六本木の方に出かけ、六本木ヒルズや今話題のミッドタウンを見にいったことと関係している。その思い出していた氏の文章というのは何年か前、まだ新聞を購読していた頃、音楽時評か何かのエッセーで東京の都市計画に着いて触れた文章であった。音楽のことには全く触れられていなかったから音楽時評といった見出しではなかったのかもしれない。しかし氏の音楽評論の中でも建築について触れた文章は多かったように記憶している。想いだしたその文章というのは、東京の町はいつまでたっても美しくならない。それは都市計画が無かったからである。それに対し、京都は唐から学んだ都市計画がもとになっているから今でも美しい町である、といった内容だったように記憶している。

東京の街並みに対するそういう思いは以前から私も同感だった。もちろん東京に美しい場所や建築は無いわけではない。桜の時期の、また桜が咲いていなくても千鳥が縁公園とか、そういった古典的な場所や東京駅のような明治の建築など、心を豊かにしてくれるような美しさを持つものがある。しかし現代的な都会的な街並みという点では満足感を与えてくれるような場所にはあまり遭遇したことが無い。

私は大阪府出身なので20台始め頃まで当時の大阪市内は結構見ていた。よく大阪の町はごみごみして猥雑だとか言われるけれども、たしかにそういうところは多いかもしれなかったが、結構美しい街並みも多かった。特に有名なのは御堂筋の一部分と堂島、中之島のあたりだが、当時、東京にはこういう場所がざらにあるのだろうと思っていた。しかし現実の印象ははっきり言って失望の連続だった。丸の内のビル街にしても銀座通りにしても、多くの店舗は楽しさに満ちているとも言えるかも知れないが、街並みとしては少しも美しくはなかった。個々の建築をとってみても、以前の丸ビルも今の建て替えられた丸ビルをみても、もちろん内部は立派なのだろうけれども、また外部も立派ではあるが、全く美しいとは思えなかった。

超高層建築にしても霞ヶ関ビルと新宿西口、都庁あたりの高層ビル群はかなり遠方から夜景などをながめると相関だが、建物としてはどれも味も素っ気もない。新宿の都庁近くの超高層ビルには東京に住むようになる以前をふくめ2度ほど行ったことがある。とにかく目的のビルまで歩いて行くのが退屈で疲れる。新宿駅の巨大さと複雑さとがあいまって、新宿には駅に行くだけで疲れてしまうという印象がこびりついてしまっている。

そんな中で六本木ヒルズの超高層ビルは確かに、最近の有名なビル群のなかでは出色のデザインだと思っていた。二駅ほど離れた場所からそこまで真直ぐな道路の終端にその超高層ビルを見ることがよくあるが、雲をつくその姿は確かに見ごたえがある。しかし特に用もないし、回転ドアによる不幸な事故の印象もあり、わざわざ出かけようと思うことはなかったが、この5月の連休にふらっと、そのあたりとミッドタウンに行ってみたのだった。

インターネットで調べてから行けばよいものを行けば分るだろうと思って適当な駅で降りたのが悪かった。とにかくあたりは地形が複雑で山あり谷ありである。そういうところに超高層ではないまでも、大きな高層ビル群が密集しているのだから、見通しは恐ろしく悪く、道路は複雑極まりない。とにかく一般住宅とオフィスビルなどが混在し、電線の地中化も一向に進んでいない雑然とした街区の向こうに六本木ヒルズの超高層ビルが現れた。

間近で見るとそれほど巨大には見えなかった。となりの豪華マンションといわれる建物も以外に豪華な感じはなく、横の巨大なビルとの対比のせいか、いやに天井の低い窮屈な建物に見えた。複雑な地形を利用してのことか、敷地の端が欄干になっており、その下方に前庭のようなところがあってロックコンサートをやっていた。スピーカーの歪んだ大音響が響いている。趣味の問題かもしれないが、こういう場所ではスピーカーを使わずにできるようなブラスバンドでもやった方がよいのでは、とも思う。日本にはブラスバンド人口も多いと聞いている。

後から思ったのだが、こういう複雑な起伏の大きい場所には超高層ビルは向かないのではないだろうか。超高層ビル群を建てるなら、足立区のように広く真平らな場所が向いているのではと思う。

話題のミッドタウンの方だけれども、超高層ビルは色彩にやや特徴があるけれども割と平凡な建物で、外からは特に見ごたえがあるようなものではなかった。そのビルを通り抜けると庭園になっている。庭園の中にあるデザインサイトの前に行ってみた。庭園の中で、外部は意図的に目立たないようにデザインされたのだろう。内部が面白いのかもしれないが中に入る予算もなく、庭園の中にある平坦な石の上に腰をかけてペットボトルのお茶を飲みながら、周囲を漫然と見ながらしばらく、断続的に、友人と元気のない、不景気な話を続けた。

座った場所の目の前はマンションらしき建物でその横に一応別の建物だが棟続きのように接触してサントリー美術館が建っている。美術館の両翼の建物は良くわからないが住宅マンションとしか思えない。住宅と美術館がくっついているというのはちょっと理解できない。興ざめである。友人も前の方が良かったと言っていた。

後ろを向くと庭園の向こうに普通の街区が見える。境界の外の道幅が狭いうえに垣根も生垣も作っていない。こちらも興ざめである。借景というにはつまらなすぎる眺めである。

この日の帰り道、例の吉田秀和氏の東京と都市計画についての文章を思い出し、その日以後も頭の中に出没していたのだった。

音楽評論家が美術や建築に関心を持つのは少しも不思議なことではない。むしろ当然すぎることだろう。それでも氏が音楽評論の文章の中でまで、あるいは音楽評論の記事を無にしてまで建築や、特に都市計画について書いていたのは何故だったのだろうと思うことがあった。

音楽は建築にたとえられることが多いが、都市とも関係が深い。思いつくのはハイドンやモーツアルトの交響曲に都市の名前がついているものが多いことである。もちろん作曲家が自身でつけた名前ではなく因縁のような関係でつけられたようだが、確かにハイドンやモーツァルトの交響曲には何となく都市のイメージが持つといってもいいような曲も多いような気がする。ベートーベンとロマン派以降の交響曲では都市を越えてイメージが広がっていったように言えるかもしれない。田園、森、風土、一国の国土、とイメージが広がっていったのかもしれない。中には地球、太陽系、あるいは銀河系のイメージに達したものもあるかもしれない。

金曜日, 4月 27, 2007

ロシアの豪邸と唐破風

日本の伝統建築の様式というか、デザインに唐破風という破風の形がある。これの付いた様式を宮型とも言うらしいが、古い建築には神社仏閣、宮殿に限らず、 城の天守閣にも着いているし個人の邸宅にも着いている。現在では旅館や銭湯の正面玄関などに着いていて、また霊柩車についているのが有名だ。しかし個人の 住宅に使うとすれば、現在では時代錯誤の成金趣味と見られるのではないだろうか。

最近BBCニュースでモスクワ郊外でのロシアの富豪たちの生活を紹介している記事があった。その中に彼らの豪邸の一つの写真が掲載されていて、それを見るともちろんヨーロッパの宮殿のようなデザインなのだが、よく見ると唐破風と思える形の破風が着いている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/6577129.stm

記事にはこのあたりには実に色んなスタイルの建築が林立しているらしい。とにかくこういう破風の形はヨーロッパにあるとは思えず、日本の唐破風としか思えない。そうだとすれば多分姫路城などの天守閣のデザインからヒントを得たのではないかとも思ったが、しかし面白い。

この唐破風の形はどういう意味を持っているのだろうかという事を良く考える。井上章一の「霊柩車の誕生」には宮型霊柩車の誕生について詳しく考察 されていたが、この形の意味については取り立てて考察されていたわけではなかったと記憶しており、物足らなかったのを記憶している。

日曜日, 4月 22, 2007

アメリカ的メランコリー

金曜の夜、NHKテレビのニュースが終わったあと、カーペンターズの特集、記録番組が始まった。予期していなかった番組だったが、懐かしさもあり、かなりの長時間番組だったが最後まで見た。

カーペンターズの音楽は当時、特別に好きというわけでもなかったが、歌声の魅力や洗練されたサウンドには好感はあった。ただ何となく田舎風の音楽のようにも思え、同時に、当時からカレン・カーペンターの巧みな歌晶と声のなかに一種独特のメランコリーを感じていた。後に彼女が拒食症でなくなったことを知った時、何かそれと関係があったのではないかと思ったこともある。

番組の中で、当時、カーペンターズが業界の中で必ずしも最高に評価されたわけではなく、当時の前衛であった激しいロックミュージックとくらべて陳腐だと評されていたことを初めて知り、ああ、確かにそういう面があったな、と思った。これは歌声ではなく曲調のことだけれども、その陳腐さは私が感じていたメランコリーと結びついているように思えた。もちろん曲は単に陳腐なのではなく、美しいメロディーでサウンドも洗練されていて優しく穏やかで心地よいものではあったが。

この独特のメランコリーは以前からアメリカの音楽の一部に共通するもののように感じていた。
特にそれを意識するようになったのは高校時代、音楽の教科書に載っていたマクダウエルという作曲家の「野ばらに寄す」という歌曲(教科書では合唱曲になっていた)を知った時だった。非常に美しいメロディーであることはすぐにわかった。しかし何かいいようのない憂鬱さ、陳腐さも混じったメランコリーを感じて、嫌うことはなかったが、好きにもなれなかった。後で知ったが、マクダウエルは後半生で精神障害になり、そのまま亡くなったということであり、その精神障害とも関係があるのかもしれないとも考えた。

後年、マクダウエル作曲のピアノ協奏曲が入ったLPレコードを買うことになった。アメリカの有名ピアニスト、クライバーンの演奏するプロコフィエフのピアノ協奏曲3番のレコードのB面にこの曲が入っていたのだった。プロコフィエフのほうはすぐに好きになり、何度も聞いたが、マクダウエルのほうは1回半ほど聞いて、それ以上聞くことはなかった。その曲から感じられた憂鬱さと陳腐さは「野ばら」よりも更に上を行くものだった。覚えていないが、メロディーも「野ばら」より美しいと思えるようなメロディーは出てこなかったように思う。出だしの憂鬱さは窒息するような感じであり、最後の楽章は快活な音楽ではあったがやはり窒息するようなその陳腐さだった。とにかく眼の覚めるようなプロコフィエフの協奏曲に比べては退屈すぎる音楽であった。

このメランコリーと陳腐さはアメリカの、特に白人系の音楽あるいは芸術の一部に共通して感じられるもののように思ってきた。やはりメランコリックな曲調で有名なチャイコフスキーの音楽や精神障害を起こした作曲家であるシューマンの音楽など、確かにメランコリックで悲愴感があり、聞いて必ずしも楽しくなるような芸術でもないけれども、またチャイコフスキーは陳腐だと評されることもあるようだけれども、マクダウエルの音楽のような退屈さ、窒息させられるような閉塞感はなく、聞き手を引きつけ魅了するものを持っている。

この違いは何なのか、以前からよく気になっていた。今おもうに、私が思うところのアメリカ的メランコリーは、本人が意識していないところのメランコリーではないかと思うようになった。作者、アーチストが意識していない部分でのメランコリーが、いいようのない閉塞感、窒息感、陳腐さ。本人は幸福だと思っているが心の内部に鬱積しているメランコリーである。

もちろん悲しみを湛えているような曲は作者が悲しみを意識していない筈はないし、憂鬱さも作者が意識して表現している部分がないわけもない。しかし作者が意識していない部分のメランコリーがアメリカ音楽と芸術一般の一部に底流のように流れているような感じがする。

カーペンターズの時代に先端的であったといわれるロック系の音楽はそういったものに気がついていたのかも知れないとも今になって思う。しかし個人的な問題だが、当時からそういう音楽にも親しめなかった。大体アメリカ文化全般が好きでなかったことがある。そういう中ではむしろカーペンターズの音楽は私にとっては親しめる方であったように思えるのはちょっと皮肉なことかも知れない。

当時のもっと先端的であったロック系の音楽にはおそらく短調の曲も多かったのかもしれない。カーペンターズの曲では、り多くを知ってはいないが、短調の曲は想いだすことができない。とにかく心地よく、サウンドは騒々しいことはなく洗練されていた。歌声の魅力は確かに抵抗できないものがあったのは確かで、今回の番組で改めて聞いてみて、確かに今後も忘れられることのない価値を持つ音楽の一つであるには違いないと思った。

木曜日, 3月 08, 2007

「明るい」と「暗い」

先の日曜の夜、N響アワーで久しぶりにマーラーの交響曲4番を聞いた。冒頭、解説の池辺晋一郎さんが、この曲は天国の情景を描いたもので、マーラーの曲は多くが暗いのに対しこの曲は明るいのが特長だという解説をされていた。曲が終わった後、聞き手のアナウンサーがその解説を反復し、本当に明るく天国的な感じでしたね、といったような発言で締めくくっていたように記憶している。

私は急ぐ仕事があったのでとなりの部屋でパソコンをいじりながら余り大きくない音で聞いていた。それでもせっかくの機会だから最終楽章、ソプラノ独唱が始まると部屋に戻って近くで聞いた。とにかく全曲にわたってしっとりと美しく気持ちのよい音響と歌声を聞くことが出来た。

改めてこの曲を聴いて思ったのだけれども、確かにこの曲には天国的な美しさを持っているし、実際に終楽章では歌詞で天国を描写しているわけだけれども、天国は天国でも夜の天国のように思われてならない。歌詞では羊と子供が戯れる情景描写があり、羊は夜行性ではないのだから作曲者は夜の天国を表現したわけではないのだろうが、私にはどうしても夜の情景のように思われた。もちろん暗闇というわけではないのだが。

人や状況、芸術作品の気分や性格を「明るい」と「暗い」で表現するのは極めて普通のことであるけれども、最近特にこう表現することが多くなってきているのではないだろうか。悲しみや悲観的或いは絶望、陰鬱さといった気分を暗いと表現し、明朗で幸福感があり、希望に満ちた気分、性格を明るいと表現するのは昔からそうだったのだろうか。私の子供の頃を想いだしてみても、人の性格の場合に限って言えば「明るい」よりも「朗らか」といった表現の方が多かったような気がする。

芸術文化の場合、とくに音楽の場合は悲しみや苦悩、喜びや希望といった感情とは無関係な、音響あるいは音色自体に明るさ暗さで表現せざるを得ないようなものがあるような気がする。共感覚といって言葉や発音に色彩を感じるような現象があるようだけれども、色彩ではなく明るさや暗さを感じるようなことは無いのだろうか。共感覚というような明瞭なものではなくとも、もっと漠然とした感覚として音色や音響、調性やメロディーそのものなどに、純粋な明るさ、悲喜の感情の伴わない明るさ暗さといったものを感じるのは誰にでもあることではないかと思う。マーラーの交響曲のトーンは一貫して暗い。この交響曲4番のように悲しみとか悲劇性といった要素が全く感じられない明朗な音楽でもやはり音色と響は暗く、安らぎに満ちた天国の描写であっても夜の天国のように思われてならない。

ところで特に個人の性格に関しての場合が多いけれども、最近は一般に「明るい」「暗い」をやたらに使いすぎる傾向があるのではないだろうか。もちろん朗らかとか明朗、陽気、逆に陰気、陰鬱、メランコリック、といった色々な表現があるにも関わらず明るい暗いが頻繁に使われるのにはその表現が最も適しているからには違いがない。朗らかな人といえば結構良くしゃべり、多少うるさいような印象もあるのにたいし、明るいといえばそのような特長は必ずしも持たず、表現範囲が広いとはいえるように思う。そして「暗い」はまた必ずしも「明るい」の正反対とも言えない。明るい暗いが好まれるのにはそれなりの理由があるのであろう。

しかしそれにしても「明るい暗い」が使われすぎる傾向があるような気がする。

土曜日, 2月 17, 2007

マスコミ文化人の、言葉に対する態度に思う

今だに柳沢発言に対するマスコミ文化人の付和雷同振りに対して持ったいやな思いが消えない。インターネットで見る限りでは多くの意見がマスコミに対して、より批判的だったのが救いだった。

筑紫哲也氏はニュース23で(柳沢大臣等や政治家をふくめて)「言葉に対して鈍感になっている。」と言っていたが、逆にマスコミ文化人達が言葉に対して過敏になっているようも思える。

立花隆氏はニッケイBPのコラムで、安倍総理や彼の大臣に対して「言語能力が不足している」と言う意味の批判をしていた。安倍総理の「美しい国」と云うキャッチフレーズへの批判はわかるが、それを「言語能力の問題である」と捉えるのはちょっと解らない。

いずれにしても彼の大臣の発言を「『女性は子供を産む機械』発言」という短いフレーズで片付けてしまうことはフェアでないし、それこそ言葉に対して鈍感であるとも、不誠実であるとも言える。

村上龍氏のメールマガジンJMMでの発言が一番まともに思われる。比喩と現実とを区別出来ない「既成メディア」を大臣と同罪としていた。個人的にはマスコミのこの体質のほうがより問題だと思う。

この問題で地方選挙などで自民党が不利になったと言われているけれども、野党もこの様な問題にしがみついているのでなければもっと野党に有利になったかもしれないと云う可能性を考えてみる余裕もないのだろうか。

土曜日, 2月 03, 2007

「喩えること」、「見なすこと」、そして「思うこと」と「扱うこと」

柳沢大臣が女性を子供を産む機械に喩えたことで連日 、政治の場とマスコミが大騒ぎである。当然というか、予想通りというか、大多数は柳沢大臣を非難する声である。私は柳沢大臣の発言の問題の個所をニュースで一度聞いたが、それを聞いて、大臣が「女性は子供を産む機械である」と発言したとは受取れなかった。公平に判断すれば、大臣は女性を、子供を産む「機械」に「喩え」たのである。「喩えた」というのは比喩を使ったということであって、比喩というものは元来とんでもない表現になりうるものなのである。人を喩える場合に限っても、物知りをウォーキングディクショナリーといったりするように、物に喩えることは日常茶飯事である。辞書は命のない物であるけれども「歩く辞書だ」といわれると、多くの人は喜ぶであろう。良く引越しをする人は引っ越し魔、良くメモを取る人はメモ魔などと魔物に喩えられる場合もある。

人が機械や道具に喩えられるのは良くあることである。特に労働者を機械に喩えることは、女性を子供を生む機械に喩えることと近いものがあるかもしれない。資本主義と資本家を非難する立場の人が良く使う喩えで、資本家は労働者を機械と見なしている、道具扱いしている、といった表現はなじみのものである。しかしこの場合「喩え」を行っているのは資本家の方ではなく、避難する立場の人、つまり言葉で表現している側の人である。非難されている資本家の方はそのような表現、発言は何もしていないかもしれない。現実にある資本家が労働者を人間扱いしていないこともあるかもしれないし、道具としてしかみていないかもしれない。けれどもこういった表現自体、すべて比喩である。喩えている主体は発言者であって、非難されている側ではない。

「喩えること」と「見なすこと」との差異をはっきりさせることは難しい。しかし「喩えること」と「思うこと」、「扱うこと」との違いははっきりしている。労働者を機械に「喩える」ことと、機械だと「思うこと」あるいは機械のように「扱う」こととは全く別のことなのである。文字通り大臣が「女性を機械だ」と言ったとすれば大臣はそう思っていたと言わざるを得ない。しかし大臣は「女性を機械だ」と言ってはいなかったと思う。柳沢大臣は女性を機械に「喩えた」だけなのである。

実際に大臣が女性をどのように見てきたか、見なしてきたか、思ってきたか、接してきたか、それはまた別の問題である。それを論じるなら、発言の内容そのものをもっと取上げ、議論すべきだろう。その時の発言の中身、真の内容についてはマスコミでも政治の場でも殆ど取り上げられていないように見える。

日曜日, 1月 14, 2007

「似非科学」について

似非科学についての議論が各所で頻出している。

似非科学という言葉は、おそらくある種の科学的と称する主張を科学的ではないと、一部の科学者が非難する言葉として使われ始めたのだろう。そういう科学者たちがその種の主張を「似非科学」という命名のもとに非難するのはそれらが真正の科学を装うが、実のところはそうではない贋者だということ、つまり、自分たちの領分である「科学」の名を偽って騙るものとして、贋の宝石、贋の芸術品を告発するのと同種の意味がこめられている。似非という言葉を字義どおりに解釈すればこうである。こういった批判、非難を行う科学者たちの議論が感情的になり勝ちなのはそのためといっていいだろうと思う。注意しなければならないのは、この議論はそれ自体で真実性、真理であるかどうかとは本来異なった議論であるということである。ただ、非難する側の科学者たちが、科学イコール真理と考えているならば、同時にその似非科学は欺瞞であると非難することになる。

要するに、それらを似非科学という名のもとに非難することと、それらが欺瞞である、虚偽であるといって非難することとは別のことであると考えるべきである。私は科学者たちが似非科学なるものを非難する場合、似非科学である所以を説明することと、それらが真実性を持たないであろうと考える根拠を示すこととをひとまず分けて議論すべきだと思うし、そうして欲しいものだと思う。

では、科学者が「似非科学」を贋物だとみなす根拠はどういうところにあるかが当面問題となる。私はその論点は主として用語の意味、定義の中にあると思う。

科学には多様な専門分野があり、それらの専門用語にはそもそもの最初から専門用語として作られた用語と、一般に用いられていた用語を特に専門用語として限定した意味で使われている場合とがある。前者をオリジナルの専門用語というなら、オリジナル専門用語を本来の定義から大きく外れた意味で、また本来の意味を大きく外れて誤解された上で使用された場合、これは明らかに似非科学に値するだろう。一方、日用語を特殊な限定された意味で自然科学用語として用いられるようになった用語も沢山ある。とくに物理・化学の最も基本的な用語がその種の言葉である事は、特に注目すべきことであると思う。例えば、力、仕事、熱、波、波動、振動、これらは全て物理学の最も基本的な用語であると同時に、日常語としても最も基本的な、頻繁に用いられる言葉であることだ。エネルギーに関してはちょっと微妙なところがある。この語は日本語には最初から物理用語として入ってきたのかもしれない。しかし、西欧語としては物理用語となる以前から存在し、使用されていた言葉だろう。そして日本語でも広く日常語としても使用される言葉である。

また、「似非科学」とされる諸々の主張に波動、振動に関わるものが多いことには注意を払うべきだろうと考えている。

とにかく、似非科学なるものについて考える場合、言葉の問題、用語の意味について、よくよく考えてみるべきだと思う。特に科学用語が近代科学で用いられている概念と違った用いられ方がされている場合、それを近代科学で証明されていることではないということはできるだろうが、それだけで一概に切り捨てるべき問題かどうか、それは科学そのものへの考え方に掛かっているともいえる。

月曜日, 1月 01, 2007

NHK、番組作りの変化

最近、NHKの番組作りで変化したと思える傾向がある。色んな面で変化しているのかも知れないが、少なくとも私の気になる、感じのよくない変化の傾向が一つある。さしあたりそれは次の三つの番組で気づかれる傾向である。その三つの番組は「その時歴史は動いた」、「美のつぼ」、そして「N響アワー」である。

「その時歴史は動いた」は、もう何年も前から同じ調子で続いているので、この中では最も早くその変化が現れた番組といえるかもしれない。その前身ともいえる一連の歴史番組に比べて変わった点といえるのは、以前の番組ではゲストの歴史家や作家が自身の言葉で話す時間が多く、アナウンサーは殆ど聞き手に終始していたのに対し、「その時歴史は動いた」ではゲストの出番が少なく,殆どがアナウンサーの独壇場とでもいえる構成になっていることである。

この番組作りは最近始まった番組である「美のつぼ」にも共通しているように思える。この番組では専門家は全く姿も名前も現さず、姿は表さないが多少押し付けがましく聞こえる声のアナウンサーが出演者の谷啓氏に「美のつぼ」を教えるという構成になっている。そのアナウンサーのセリフと話し方にはどうも抵抗を感じさせるものがある。内容自体は面白いのであるけれども、こういう構成のために、少なくとも私にとって、楽しみは半減している。

「N響アワー」は何十年も続いている長い番組だが、今年度からは池辺晋一郎氏が出演していることは前年度と変わらないものの、前回まで登場していなかったNHKのアナウンサが登場し、番組を進行させるようになった。前回までは作曲家の池辺晋一郎氏が毎年入れ替わるアシスタントの女優さんなどを相手に、少なくとも見かけ上は自由に音楽について語るような構成になっていたのだけれども、今回もそういう部分は多少残されているのであるけれども、アナウンサーが進行の主導権をもつような形になり、やはり面白さが半減してしまった。

一方、好ましい方向に変わったと思える番組もある。脳科学者とアナウンサーではないと思える女性の二人が司会をする「仕事の流儀」という番組は、以前の「プロジェクトX」を引き継ぐような面があると思えるのだが、もしそうだとすれば良い方向に変わったように思われる。「プロジェクトX」は始まった頃は何度か見たが、数回でいやになり、内容には興味があるような場合でも見ないようにしていた。技術に関わる番組なのだからもっと技術に焦点をあてれば良かったと思っている。「地上の星」という、中嶋みゆきのテーマソングは人気があったが、どうも歌い方が荒っぽく、曲自体も良くは出来ていたと思えるが、真実味がない。これに対して「仕事の流儀」では司会者とのかなり本音での対話が中心となっているので、司会者と同感するかどうかは別として、興味を持てる内容になっており、十分に楽しめる番組になっている。