日曜日, 4月 22, 2007

アメリカ的メランコリー

金曜の夜、NHKテレビのニュースが終わったあと、カーペンターズの特集、記録番組が始まった。予期していなかった番組だったが、懐かしさもあり、かなりの長時間番組だったが最後まで見た。

カーペンターズの音楽は当時、特別に好きというわけでもなかったが、歌声の魅力や洗練されたサウンドには好感はあった。ただ何となく田舎風の音楽のようにも思え、同時に、当時からカレン・カーペンターの巧みな歌晶と声のなかに一種独特のメランコリーを感じていた。後に彼女が拒食症でなくなったことを知った時、何かそれと関係があったのではないかと思ったこともある。

番組の中で、当時、カーペンターズが業界の中で必ずしも最高に評価されたわけではなく、当時の前衛であった激しいロックミュージックとくらべて陳腐だと評されていたことを初めて知り、ああ、確かにそういう面があったな、と思った。これは歌声ではなく曲調のことだけれども、その陳腐さは私が感じていたメランコリーと結びついているように思えた。もちろん曲は単に陳腐なのではなく、美しいメロディーでサウンドも洗練されていて優しく穏やかで心地よいものではあったが。

この独特のメランコリーは以前からアメリカの音楽の一部に共通するもののように感じていた。
特にそれを意識するようになったのは高校時代、音楽の教科書に載っていたマクダウエルという作曲家の「野ばらに寄す」という歌曲(教科書では合唱曲になっていた)を知った時だった。非常に美しいメロディーであることはすぐにわかった。しかし何かいいようのない憂鬱さ、陳腐さも混じったメランコリーを感じて、嫌うことはなかったが、好きにもなれなかった。後で知ったが、マクダウエルは後半生で精神障害になり、そのまま亡くなったということであり、その精神障害とも関係があるのかもしれないとも考えた。

後年、マクダウエル作曲のピアノ協奏曲が入ったLPレコードを買うことになった。アメリカの有名ピアニスト、クライバーンの演奏するプロコフィエフのピアノ協奏曲3番のレコードのB面にこの曲が入っていたのだった。プロコフィエフのほうはすぐに好きになり、何度も聞いたが、マクダウエルのほうは1回半ほど聞いて、それ以上聞くことはなかった。その曲から感じられた憂鬱さと陳腐さは「野ばら」よりも更に上を行くものだった。覚えていないが、メロディーも「野ばら」より美しいと思えるようなメロディーは出てこなかったように思う。出だしの憂鬱さは窒息するような感じであり、最後の楽章は快活な音楽ではあったがやはり窒息するようなその陳腐さだった。とにかく眼の覚めるようなプロコフィエフの協奏曲に比べては退屈すぎる音楽であった。

このメランコリーと陳腐さはアメリカの、特に白人系の音楽あるいは芸術の一部に共通して感じられるもののように思ってきた。やはりメランコリックな曲調で有名なチャイコフスキーの音楽や精神障害を起こした作曲家であるシューマンの音楽など、確かにメランコリックで悲愴感があり、聞いて必ずしも楽しくなるような芸術でもないけれども、またチャイコフスキーは陳腐だと評されることもあるようだけれども、マクダウエルの音楽のような退屈さ、窒息させられるような閉塞感はなく、聞き手を引きつけ魅了するものを持っている。

この違いは何なのか、以前からよく気になっていた。今おもうに、私が思うところのアメリカ的メランコリーは、本人が意識していないところのメランコリーではないかと思うようになった。作者、アーチストが意識していない部分でのメランコリーが、いいようのない閉塞感、窒息感、陳腐さ。本人は幸福だと思っているが心の内部に鬱積しているメランコリーである。

もちろん悲しみを湛えているような曲は作者が悲しみを意識していない筈はないし、憂鬱さも作者が意識して表現している部分がないわけもない。しかし作者が意識していない部分のメランコリーがアメリカ音楽と芸術一般の一部に底流のように流れているような感じがする。

カーペンターズの時代に先端的であったといわれるロック系の音楽はそういったものに気がついていたのかも知れないとも今になって思う。しかし個人的な問題だが、当時からそういう音楽にも親しめなかった。大体アメリカ文化全般が好きでなかったことがある。そういう中ではむしろカーペンターズの音楽は私にとっては親しめる方であったように思えるのはちょっと皮肉なことかも知れない。

当時のもっと先端的であったロック系の音楽にはおそらく短調の曲も多かったのかもしれない。カーペンターズの曲では、り多くを知ってはいないが、短調の曲は想いだすことができない。とにかく心地よく、サウンドは騒々しいことはなく洗練されていた。歌声の魅力は確かに抵抗できないものがあったのは確かで、今回の番組で改めて聞いてみて、確かに今後も忘れられることのない価値を持つ音楽の一つであるには違いないと思った。

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