木曜日, 10月 24, 2013

ノートパソコンの解像度または精細度は早急に改善すべきで最近始まった高解像度化は促進すべき

以前にこのブログで報告したとおり、姿勢などの関係からノートパソコンの方がデスクトップより良いのではないかと思い、また別の理由もあって、昨年の夏ごろから従来のデスクトップに加えてノートパソコンを導入し、メインで使用するようになっていた。従来のデスクトップはマルチスクリーンでそのままにして併用し、主としてノートパソコンで入力作業をするようになり、さらにはスマートブリッジという、一つのマウスとキーボードで両方のPCを使えるデバイスも使ってそれなりに便利に使っていたのだが、一つ、大きく目論見とは異なる不都合が次第に顕著になってきた。一言で言ってそれは標準的なノートパソコンの、解像度というか、DPIが、ノートパソコンの使用条件に適応できていないということである。これが眼の疲労に著しく影響することが分かったのである。ノートパソコンを追加してさらにメインに使用するようになって便利にはなったのだが、眼の疲労はそれ以前にも増してひどくなったのである。これはひとえに解像度(DPI)とそれに対応した文字の表示とフォントデザインが不適切であるからと言えるだろう。

そんなわけでつい最近になって21インチのディスプレイを追加してノートパソコンをマルチスクリーンで使用するようになった。古いデスクトップの方は事実上、一つ のディスプレイだけを使用し、一方は机の下につないでいる。外してしまうとまた変なことが起きそうでこわい。マルチスクリーンも何度も設定を変えたり、つなぐデバイスが故障して取り換えたりしているうちにいろいろ不都合が生じてくる。

とにもかくにも、ノートパソコンに大きめのデスクトップ型ディスプレイを追加したことで、かなり目が楽になった。やはり、現在主流の解像度はデスクトップ型の設置距離に適しているのである。ノートパソコンでの使用条件では少なくとも現在主流のタブレット程度の解像度は、眼のためには最低限必要だろう。そこで昨日、ネットで調べてみたが、例のIGZOパネルなどを使用した高精細度のPCがすでに出回り始めていることが分かった。当方は今買い替えるわけにはゆかないが、これは歓迎すべきことで、促進すべきことだと思う。

残念に思うのはなぜこの流れがもっと早く進まかったのかということだ。もちろん技術とコストの問題があったのだろうが、とにかく企業の商品開発がスマートフォンと大型テレビに集中していたことが原因だろうと思う。個人的にはスマートフォンなどの新商品の開発よりも、従来製品の改善の方を優先すべきと思うのだが。特に眼の疲労や読みやすさ、眼に優しくすることは、この世界的な高齢化社会への対応ということで、最重要課題の一つだと思うのである。

木曜日, 10月 17, 2013

椅子と机と正座

先日、経済ニュース番組で、アメリカ発の事務用椅子の新製品を紹介していた。自由な姿勢、特にPCやタブレット使用に対応したという斬新な構造と機能性を持たせたということだったが、気になったことは、依然としてキャスター付き五本足の回転椅子であるということで残念に思った。個人的に、当人も五本足のキャスター付き回転椅子を毎日使用しているが、実のところもうこの種の椅子が嫌になっている。

特にぐらつくというわけでもないが、どうしても古くからある回転しない椅子の安定した感触は得られないし、何よりも五本足の位置が定まらず、じゃまになる。本来どのような作業であってもこういう回転椅子は適切ではないと思うがどうなのだろうか。ピアニストは絶対にこんな椅子を使わないし、他の楽器でもそうだろう。事務や手作業でも同じだと思う。

近頃、近くの図書館に通って借りることをせずにそこで一時間程読むことが多くなったが、図書館の椅子は古くからある頑丈な木製の椅子でかなり重い。高さや構造が最適であるとは限らないが、本を読むにはやはりこの種の椅子の安定感は必要と、最近は感じるようになった。 この種の椅子で問題なのはやはり使うときには椅子を引いたり収めたりすることの煩わしさにある。音も立てる。もちろん使いながら動かせるという機能がない。そのために事務所では現在殆ど使われなくなってしまったようだ。しかし、この問題は改めて見直す必要があるのではないかと思う。高さの調節も含めて改善できないほどのものでもないと思われる。

件のテレビで見たアメリカ製の最新型はたしかに自由な姿勢に対応している面もあるが、一方でやはり五本足の安定しない位置のため足の置き場が不自由に見えた。そういう欠点が残されている以上、またキャスター付き回転椅子である以上、もはや見た感じではそれほど欲しいと思うような優れものに見えなかった。

回転式の事務用椅子は見直す時期に来ているのではないだろうか。こういう机だからこそ逆にいろいろと姿勢を崩したくなってくる面もあるような気もする。


同じ日の夜、NHKオンデマンドで見た『美の壺』で、文豪の使った文机というのを見た。 漱石をはじめとする明治から昭和にかけて日本の作家たちが作品を書くのに使った机が紹介されていた。漱石が唐物と呼ばれる中国伝来の文机を使っていたのは西洋文明からの一種の決別の気持ちを込めて意識的にそういう机を選んだのだと、ナレーションで言っていたが、成程そうかと思う。 とは言っても、もちろん全面的な決別ではないのだろうが。

他に紹介されていた作家たちの中で、例えばただ一人洋風の机を使っていた萩原朔太郎のことなど、興味深かった。

それにしてもこういう作家たちは一日中正座していたわけでもないだろうが、事実上、正座をしていた時間は相当に長かったに違いない。ちょうど最近、個人的に、正座のことを考える機会が多くなってきている。当人は仕事など、パソコンを使うときはもちろんだが、先に書いた通り事務用の回転椅子を使って過ごしているが、それ以外は普通は畳の上である。だいたいはくつろぐ時だから、どうしてもあぐらをかいたり、よこに寝そべったりしてしまうが、最近はできるだけ、というか、少しは正座をするように心がけるようになった。少しずつではあるが、しびれは切れにくくなってきたように思う。

正座は身体と健康にとって、また子供の成長にとってどうなのかといった本格的な研究があっても良いのではないだろうか。また精神生活全般と正座や畳式生活と椅子式生活との関係など、もっと多方面の研究がなされてしかるべきではないかという気がする。

月曜日, 3月 18, 2013

ウクライナからのアクセス

最初、「はてなダイアリー」でブログを始めてから成り行きでブログの数が増えてしまい、現在それ以外に「ブロッガー」で三つと「FCブログ」で一つ、合計五つのブログを公開するという始末になってしまいました。いずれのブログにもアクセス解析を設置していますが、これも成り行きで二通りのアクセス解析が設置されています。はてなダイアリーには「はてなカウンター」を設置した後、あとからブロッガーの三つのブログとともに非常に高機能のグーグルのアナリティクスを設置しました。しかし、かなり後になってから、ブロッガーには最初からアクセス解析が組み込まれていることが分かり、これらも二通りのアクセス解析が設置されている状態になっています。もう一つのFCブログの方は、かなり後から始めたブログですが、これは最初からアナリティクスを設置しただけだったのですが、次に述べるようにアナリティクスのデータに問題があるように思われたので、最近になって、はてなカウンターを設置し、比較するようにしてみました。ブロッガーには、アナリティクス以外のカウンターを任意で設置できないみたいで、はてなカウンターを設置してみましたが、機能しませんでした。


という次第で、かなり最近になるまでグーグルのアナリティクスのみを参照していたのですが、ブロッガー組み込みのアクセス解析が見られることに気づいてから、こちらはアナリティクス程の高機能ではありませんが、見やすいので、こちらも見るようになり、その結果、アナリティクスの結果とかなり差があることに気づいたのです。


ブロッガーで公開しているブログのひとつで「意味の周辺」というブログの解析を見ていたのですが、アナリティクスでは表示されたことのないウクライナという意外な地域からのアクセスが相当にあったのです。さらに見て行くにつれ、アメリカも含め、外国からのアクセス全体が予想を超えて多くあり、また日本を含めたアクセス数全体もアナリティクスのデータよりも多い場合が多いのです。


最初はウクライナ、スペイン、トルコ、アフリカ諸国といった特定の国々からのアクセスが検出されないのかなとも思ったのですが、よく見て行くとアメリカからのアクセスも大幅に異なるようです。同じ「意味の周辺」のデータですが、全期間中のアメリカからのページビューが、ブロッガー組み込みの解析では300程であるのに対して、アナリティクスのデータでは訪問数で15しかありません。


さらに詳しく言えば、スペインやドイツなど、数的には少なめですが、アナリティクスでもある程度は検出されているのに対し、少なくともウクライナとロシアはまったく検出されていないという傾向があります。数量的にはウクライナがアメリカに次いで突出しているのですが。


グーグルに問い合わせたところ、国を識別するのはどのツールでも難しく、どのツールのデータが正しく、どちらが間違っているともいえないということでした。ネット検索でその方面の解説記事を当ってみたところ、確かに地域を正確に特定するのは困難なようです。ただ、今回の当方のケースでは、地域を間違えているというよりも、検出漏れという方が当たっているように思われます。アナリティクスでは外国からのアクセス数全体が極端に少なくなっているからです。日本全体のアクセス数はだいたい一致している場合が多いようですから、これは外国から、特にロシアやウクライナからのアクセスが検出漏れになっている可能性が高いように思います。


そんなことを考えていたところ、昨夜NHKテレビの特集でチェルノブイリ関連の放射能汚染問題の現状を報告する番組を見て、ハタと気づきました。これは主としてウクライナとベラルーシからの報告だったからです。上記の問題は「意味の周辺」というブログで確認したことだったのですが、おなじブロッガーで作成しているこちらのブログで、福島の原発事故後の数か月の間に、放射線リスクの問題を扱った記事を何度か書いていましたが、ウクライナからのアクセスはその記事へのアクセスがきっかけだったのではないか、ということに思い至ったわけです。調べてみた結果、確かにこちらのブログでも、全期間でウクライナからのアクセスがかなりの割合でありました。ただ、ブロッガーの解析ではアナリティクスのような詳細な解析はできないので、ウクライナからのアクセスが多かったのはいつごろだったのかということまでは判りませんでした。それにしても、ああいった記事をウクライナからアクセスして見てくださっていたということが分かり、少々感動した次第です。多くは現地在住の日本人の方だと思いますが、それにしては、私のブログにしては多めの、外国からのアクセスです。


そういった方々が、そのブログのその種の記事にアクセスした後にそのページにリンクされた私の別のブログにも興味を示してくださった結果、「意味の周辺」その他のブログにもウクライナからのアクセスが多くなったということではないかと思われた次第です。


私はもちろん、放射線医学の専門家でもジャーナリストでも、活動家でもなんでもなく、放射線問題について調べたのも当時の一時期だけで、ソースもインターネットだけでした。ただ、当時は結構ていねいに調べたり検討したもので、その結果放射線リスクに閾値があり、その閾値も結構高い値で、年間100ミリシーベルトの基準では十分に閾値内に入っているということの確信が得られた時点で、それ以上はこの問題について調べるのはやめ、ブログでもその種の記事もあまり書いていません。もともと数字が苦手なので、今ではベクレルの数値を見てもあまりピンときません。また原発問題やエネルギー問題についてもあまり考えたりすることも、独自に知識を仕入れようとしたりすることもなくなりました。


ただ、「発見の発見」というブログでは、科学上の問題として最初のころからCO2温暖化論を取り上げて記事にしてきましたが、これも今はCO2温暖化説が間違いであることの認識がかなり広まってきたようで、殆ど科学の問題というよりも政治問題に絞られてきた感があり、あまりブログの記事にする機会もなくなってきたようです。


もちろん、原子炉内が現在どのような状態になっているかがまったくわからないという現状で、放射線リスク問題にもエネルギー問題にも全く関心を失ってしまうことは許されないことですが、時々入ってくる情報から、少なくとも原発事故現場に近い一定地域以外ではまったく放射線リスクについて心配する必要はないと思っています。この認識はすでに多くの分別ある一般人にほぼ共通していることではないでしょうか。脱原発に向けて活動されている多くの活動家やジャーナリストの方々を尊敬していますが、そういった方々の中にも、いまだに閾値説を全面否定し、過剰にリスクを強調する人たちがおられるのは本当に残念な気がします。先般、このブログの記事にも書きましたが、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」です。


昨夜のテレビ番組、ウクライナとベラルーシからのレポートでもやはり、閾値以下の放射線を危険だとする立場と安全とする立場との葛藤が中心テーマであったようです。ただやはりこの種のテレビドキュメンタリー番組の常で、きちんとしたデータの調査よりもイメージ的な訴えや、相互の単なる断定や主張の繰り返しで終始していたように思います。相も変わらず、誰かもわからない女性患者が治療を受けているシーンを流したりしたり、現場とは何の関係もない気の滅入るような音楽を付けたり。もうそろそろこのようなドキュメンタリー番組の手法は時代遅れと思われるようになって欲しいものです。


全く関係のない二つのテーマでこの記事を書くことになってしまいました。ここで最初のテーマに戻ります。


FCブログの方も、アナリティクスの解析を見てきましたが、以上のような次第で、改めて新たに「はてなカウンター」を設置してみました。こちらも外国のアクセスについてアナリティクスとの差において、ブロッガーの解析と同様の傾向を示していると言えます。今のところ外国と言えばアメリカだけですが、明らかにアナリティクスでは検出していない数のアメリカからのアクセスを検出しています。このことからも、やはりグーグルのアナリティクスでは全体のアクセス数、特に外国からのアクセス数の数え落しが大きいという蓋然性が高いように思われます。


素人考えですが、アナリティクスの場合あまりにも多くの詳細項目を解析しているために検出確率が犠牲になっているのではないでしょうか。場合によっては詳細な解析ができないようなアクセスを数え落としているのではないかとも思えるのですが、もちろん専門的に理解しての推測ではありません。


いずれにしてもアナリティクスの詳細な分析機能は商用目的には非常に有効で有用なツールになると思います。ただ、日本国内で外国からのアクセスを地域的に、正確に捉えるには適さないということになるでしょうか。



木曜日, 1月 03, 2013

タブレット機の使用、現在は殆ど休止中。ノートPCの目につく問題点

前回、読書の姿勢に関してネットでアンケートを取ったことで記事を書きました。引き続いてアンケートを取り直したり、考察を続けるつもりのところ、一時的な多忙をきっかけに中断中ですが、いずれ再開したいと思っています。ちなみに、アンケートは、はてなアンケートを使用したのですが、最初、読書スタイルに関するアンケートは有料のポイント付きで行い、すぐに100人の回答が集まりました。しかし次にタブレットの目的についてのアンケートを無料のポイントなしで行ったところ、回答をしてくださったのは一人でした。次回以降おこなうとすれば有料のポイント付きでおこなわざるを得ないようです。


同じ流れでパソコン系メディアに関する体験談というか批評のような一連の記事を書いていますが、今回はその系列のひとつという結果になりました。


タブレットに引き続いてのノートPCの導入
当時、と言っても去年ですが、タブレットを購入した際の複数の目的の中で、最も切実であったのはパソコンで行う仕事の補助でした。具体的に言えば翻訳作業で、それまで1台のデスクトップに2台のディスプレイを接続してマルチディスプレイで使用していたのですが、それでも画面がまだ不足傾向であったことに加え、PC用ディスプレイよりももっと低角度で、本を読むような角度で見られるディスプレイが使いたかったからでもありました。


この点で、10インチのタブレットは十分に目的をかなえてくれたと思います。もっともよい点は画面の精細度―今は解像度と言えば画素数のことになってしまうので、精細度と言えばよいのでしょうか。印刷と同様にDPIで表現できれば良いと思うのですが―が高く、フォントも美しくきれいに出ることです。今の携帯はもっと精細度が高いし、スマートフォンもそうだと思うのですが、一応10インチタブレットの精細度はフォントと相まってパソコンのディスプレイに比べて格段に目に優しいように思われました。


という次第で、PDFの原稿を表示するには快適でした。具体的には正面のPCディスプレイのすぐ下に接触させて低角度でPDF原稿を表示させ、正面のPCディスプレイで入力作業を行うわけですが、できれば位置的には逆の方が良かったのです。入力作業を行うメインの画面が下の方、うつむき加減で入力したかったのです。

そういう次第で、他にもいくらかの理由があり、それから数か月もたたない時点で新たにノートPCを購入することになってしまいました。他の理由というのは、主に、一時的に遠隔地の移動先でメインの仕事をする可能性への備えだったのですが、それ以外に、やはり、タブレットでの入力難しさ、あるいは煩わしさだったと言えそうです。というのはタブレットの購入目的の一つに、自宅内で場所を変えての、入力作業を含むような利用の仕方もあったのですが、入力の煩わしさでそれが満たされなかった次第です。ノートPCでこの点も満たせるという目論見がありました。

要するにノートPCで移動先を含めてあらゆる場合の入力作業を含むメインのPCに据え、従来のデスクトップと必要に応じてタブレットを補助的に使用するというスタイルが一応の理想ではないかという期待があったわけです。ただしノートPCを選択する時点でもう一つ期待することがありました。それは、少なくともタブレットPC程度の精細さ、がその密度を期待したのですが、スペックを見た時点で、標準的な通常のノートPCの大きさでは無理であることが分かり、それは諦めざるを得ませんでした。

とにもかくにもそのような次第で16.5インチのノートPCを購入し、上述のような使い方で現在に至っています。基本的に、ノートPCを入力作業の中心に据えてデスクトップPCを補助的に使用する方法は、私の場合は正解であったように思います。ただしこの初めて使うノートへの不満も大きく、この件はこの記事の後の方で検討したいと思います。

以上のような経緯からそれ以後、仕事上でデスクトップの補助としてタブレットを使用することは事実上なくなりました。ただし机上にもう少し余裕があればさらにタブレットも併用できないわけでもありません。しかし、辞書として使うには問題がありました。パソコン用の辞書は使用できないし、使用できたとしても、検索するための文字入力がしづらそうです。実は初めての電子書籍としてタブレット用の医学事典を購入したのですが、どうもタブレットに適した設計になっていなかったようです。相性の良い機種とそうでない機種があるのかもしれませんが、購入した機種では非常に検索がしづらいものでした。スライダーでは大まかにしかページの移動ができないので1ページづつ移動しようとしても1ページに1項目しか表示されず、1項目ずつページを移動するのは大変時間がかかります。10インチの広いスペースにわずか数行の1項目しか表示されないというのは設計上の大きな欠陥またはミスではないかと思います。



という次第で、現在タブレットは休眠中です。というのも、もう一つの目的であった電子書籍としても今のところ殆ど用無しという状況であるからです。その理由を改めて考えて見ましたが、理由を分析し始めるとそれだけで結構な時間がかかってしまいそうなので、またの機会があれば分析してみたいと思います。ただ、無料の電子書籍、青空文庫や、グーグルからダウンロードできる本が必要な場合は無条件でタブレットを使いたいし、何冊かダウンロードしましたが、この種の本はなかなか落ち着いて読む機会に恵まれないものです。他方、近所や歩いて行ける範囲内に中型や大型書店があり、書店に行く楽しみは結構大きく、書店で買いたい本が見つかればどうしてもそこで購入したいのは人情というもので、最近はアマゾンなどのネット販売もなるべく利用せずに済ませています。とは言ってもまったく電子書籍を購入する気が無くなったわけでもなく、今のところ機会に恵まれないということですが、それでもやはり、タブレットを購入する以前に想定していたよりも電子書籍に対する期待感は薄れているといった状況でしょうか。


ノートPCへの不満点
さて、先ほど述べたとおり、現在、入力作業を行うメインのパソコンは仕事と仕事以外を問わず、ノートパソコンになってしまいましたが、それだけにノートパソコンへの不満も結構大きなものがあります。まあ高級機ではないので高級機では解決できる点もあるかもしれませんが、とにかく感じている不満を列挙してみたいと思います。

1.現在のタブレットと同等以上の精細さが欲しい。これは絵よりも文字表示の上で言えることです。

2.OSはWindows 7 ですが、フォントの表示がWindows XPのデスクトップに比べてむしろ見にくくなっている。

フォントはソフトとによっては選択の自由があり、ある程度きれいに表示設定できる場合もあるが、自由にならないソフトの方が多く、特にユーザーインターフェースの文字は自由にならない。ワードの場合、MS 明朝でもMS ゴシックでも、かなりの大きさにしても殆どドット一つ幅の繊維のような細い細い文字で本当に眼が疲れる。

3.キーボードの左右中心と画面の左右中心の位置がかなりずれる。


という次第で、せっかく画面の角度や位置が見やすくなったものの、文字表示の見やすさ、美しさという点で、現在のデスクトップよりもむしろ劣る場合があり、これにはソフトの問題もあろうと思いますが、やはりノートPCの画面精細度がまだ不十分であるためのように思います。またキーボードの左右の中心が画面とずれるのもかなり大きな欠点であるように思われます。この点では、基本的に画面とキーボードは切り離せられるのが良いので、この点では結局のところデスクトップと一部のタブレットでは早くから実現しているわけで、ノートPCにはないデスクトップとタブレットの共通のメリットとも言えそうです。


こうしてみると、ただ全体の大きさと持ち運び性という点とタッチ操作によって差別化されがちなデスクトップ、ノートPC、タブレット、スマートフォン等のモバイル端末には、実に様々な点で長所と短所が複雑に交錯しているような気がしてきます。そういう中で、タブレット機の持つ長所がデスクトップやノートに還元されても良いのではと思われるのですが、現在、Windows 8 ですか、ノートPCやデスクトップにタッチ操作を取り入れるということがそれにあたると言えるのかもしれません。しかし、個人的には、それよりも画面の精細さとフォントの美しさ、読みやすさ、という点で優れているタブレットの長所をこそノートPCやデスクトップに還元して欲しいと思うものです。

開発の順序からいえばデスクトップパソコンからノートパソコンへ、さらにタブレットとスマートフォンという順序で技術点に発展してきた、というより、技術の発展によってこのデスクトップからノート、タブレット、スマートフォンへの進化が可能になったということなのでしょうが、それに伴ってデスクトップとノートPC自体の進化が取り残されているような気もします。

パソコンの時代が終わってタブレットの時代に入ったというような専門家の意見をよく聞きますが、一面、デスクトップやノートPCの改善に注ぐべき努力をもタブレットやスマートフォンの方に振り向けてしまっているのでは、と思わないでもない次第です。


個人的に、特にPCに詳しいわけでも、もちろん専門家でもないわけですが、かなり切実なユーザーの立場で、引き続き、考察を続けてゆきたいと思っています。