木曜日, 10月 17, 2013

椅子と机と正座

先日、経済ニュース番組で、アメリカ発の事務用椅子の新製品を紹介していた。自由な姿勢、特にPCやタブレット使用に対応したという斬新な構造と機能性を持たせたということだったが、気になったことは、依然としてキャスター付き五本足の回転椅子であるということで残念に思った。個人的に、当人も五本足のキャスター付き回転椅子を毎日使用しているが、実のところもうこの種の椅子が嫌になっている。

特にぐらつくというわけでもないが、どうしても古くからある回転しない椅子の安定した感触は得られないし、何よりも五本足の位置が定まらず、じゃまになる。本来どのような作業であってもこういう回転椅子は適切ではないと思うがどうなのだろうか。ピアニストは絶対にこんな椅子を使わないし、他の楽器でもそうだろう。事務や手作業でも同じだと思う。

近頃、近くの図書館に通って借りることをせずにそこで一時間程読むことが多くなったが、図書館の椅子は古くからある頑丈な木製の椅子でかなり重い。高さや構造が最適であるとは限らないが、本を読むにはやはりこの種の椅子の安定感は必要と、最近は感じるようになった。 この種の椅子で問題なのはやはり使うときには椅子を引いたり収めたりすることの煩わしさにある。音も立てる。もちろん使いながら動かせるという機能がない。そのために事務所では現在殆ど使われなくなってしまったようだ。しかし、この問題は改めて見直す必要があるのではないかと思う。高さの調節も含めて改善できないほどのものでもないと思われる。

件のテレビで見たアメリカ製の最新型はたしかに自由な姿勢に対応している面もあるが、一方でやはり五本足の安定しない位置のため足の置き場が不自由に見えた。そういう欠点が残されている以上、またキャスター付き回転椅子である以上、もはや見た感じではそれほど欲しいと思うような優れものに見えなかった。

回転式の事務用椅子は見直す時期に来ているのではないだろうか。こういう机だからこそ逆にいろいろと姿勢を崩したくなってくる面もあるような気もする。


同じ日の夜、NHKオンデマンドで見た『美の壺』で、文豪の使った文机というのを見た。 漱石をはじめとする明治から昭和にかけて日本の作家たちが作品を書くのに使った机が紹介されていた。漱石が唐物と呼ばれる中国伝来の文机を使っていたのは西洋文明からの一種の決別の気持ちを込めて意識的にそういう机を選んだのだと、ナレーションで言っていたが、成程そうかと思う。 とは言っても、もちろん全面的な決別ではないのだろうが。

他に紹介されていた作家たちの中で、例えばただ一人洋風の机を使っていた萩原朔太郎のことなど、興味深かった。

それにしてもこういう作家たちは一日中正座していたわけでもないだろうが、事実上、正座をしていた時間は相当に長かったに違いない。ちょうど最近、個人的に、正座のことを考える機会が多くなってきている。当人は仕事など、パソコンを使うときはもちろんだが、先に書いた通り事務用の回転椅子を使って過ごしているが、それ以外は普通は畳の上である。だいたいはくつろぐ時だから、どうしてもあぐらをかいたり、よこに寝そべったりしてしまうが、最近はできるだけ、というか、少しは正座をするように心がけるようになった。少しずつではあるが、しびれは切れにくくなってきたように思う。

正座は身体と健康にとって、また子供の成長にとってどうなのかといった本格的な研究があっても良いのではないだろうか。また精神生活全般と正座や畳式生活と椅子式生活との関係など、もっと多方面の研究がなされてしかるべきではないかという気がする。

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