木曜日, 6月 24, 2021

ワクチンと人々の世代、そして階層 ― ワクチンへの依存心という問題

 先月の初めか中頃だったが、仕事の件で私と同年の友人に電話したときにワクチンの話にになり、彼がこの問題で子供達と対立関係にあることを知った。当時その友人はワクチン待望派であり、その時すでにワクチンを打つことに決めていた。この点で私とも意見が対立していたわけだが、彼はそもそもワクチン好きで、これまでも毎年インフルエンザワクチンを打ちつづけ、近年には年配者に案内が来る肺炎のワクチンも打ってきたそうである。そして娘さんにも子宮頸がんのワクチンを打つことを勧めているというのである。その娘さんはワクチン忌避派であるとのこと。もちろん、その娘さんも立派な成人だから、彼も無理に子宮頸がんワクチンを押し付けるようなことまではしないとは思っている。

一方、私は、インフルエンザワクチンは、たぶん中学校で集団接種して以来、打ったことがなかったし、何年か前に来た肺炎のワクチンも、初めてのことで少々気にはなったが、申し込まなかった。一つの理由はもちろんこれらのワクチンは有料であったことも理由のひとつである。ということで、この友人の家庭では親子の世代間で対立があり、この友人と私は、ワクチンを打つという習慣において対立とは言えないが、受け止め方にかなり大きな差があるといえる。

一方、ごく最近私は東京から大阪府内に引っ越し、もともとこちらの出身だから知り合いのワクチン対応ついても色々と情報が入るようになった。

1つの顕著な状況として、私より一回り上の世代では、上記の友人のような親子間の意見の対立は表面には現れず、むしろ子供達からワクチン接種を勧められたり、懇願されたりというケースが目立った。どうも子供たちにとって親がワクチンを打たなくては肩身が狭いという面があるらしい。その子供達は、世代的には、先ほどの東京の友人の子供達よりは一回り上であって、もう50歳代でそろそろ60歳にさしかかりそうな年齢である。

その50歳代の知り合いの女性の話だが、最近大学生になったばかりの息子から、ワクチンを打つな、とせがまれているという。本人がどうするつもりなのかについては聞かずにいるが。

先に触れた、私より一回り上の世代には当然、もう十分に成人となった孫がいる、その孫は先の50歳代の女性の子供と同世代である。彼らがどう考えているかについては大いに興味があるが、残念なが私とは直接の面識もなく、少なくとも直接には知る由もない。

また私たちを取り巻く情報空間の状況も刻々と変化する。もっともテレビと新聞についてはそう変わりそうもないように思えるが。

何れにしても世代間の違いは相当にあることは確かである。一方で経済的な階層間の違いもあるように思われる。ある程度以上裕福な層はワクチン接種の費用など惜しむ必要はないので、毎回、当然のように打つ習慣が出来上がっている人々も多いだろうと思う。そういう世代ではワクチンへの依存心もできているのではないだろうか?一方、裕福ではない階層の場合、ワクチンを打たない習慣が出来上がっている人々も多く、そのような階層では、ワクチンを打たなくても病気にかかっていないのであれば、ワクチンへの依存心自体も高くはないのではないだろうか?

ここで一つ、ワクチンに関して新たなキーワードが浮かび上がってきたように思う。それは「ワクチンへの依存心」という問題である。一方でワクチンの信頼度という問題があり、現在主に議論の対象になっているのはワクチンの信頼度あるいは危険度とでもいう問題だろうと思われ、これが飛び交う議論の大部分はこれであるけれども、一方でワクチンへの依存心という心理的な問題にもスポットをあてるべきではないかと思われる。また、若い世代のようにワクチンに対して懐疑心が強まれば、必然的に依存心も弱まることが、十分に考えられる。これは古くから言われる「病は気から」に関係することでもあり、また自己免疫力、抵抗力の問題にも関わる問題ではないかと思うのである。