日曜日, 1月 14, 2007

「似非科学」について

似非科学についての議論が各所で頻出している。

似非科学という言葉は、おそらくある種の科学的と称する主張を科学的ではないと、一部の科学者が非難する言葉として使われ始めたのだろう。そういう科学者たちがその種の主張を「似非科学」という命名のもとに非難するのはそれらが真正の科学を装うが、実のところはそうではない贋者だということ、つまり、自分たちの領分である「科学」の名を偽って騙るものとして、贋の宝石、贋の芸術品を告発するのと同種の意味がこめられている。似非という言葉を字義どおりに解釈すればこうである。こういった批判、非難を行う科学者たちの議論が感情的になり勝ちなのはそのためといっていいだろうと思う。注意しなければならないのは、この議論はそれ自体で真実性、真理であるかどうかとは本来異なった議論であるということである。ただ、非難する側の科学者たちが、科学イコール真理と考えているならば、同時にその似非科学は欺瞞であると非難することになる。

要するに、それらを似非科学という名のもとに非難することと、それらが欺瞞である、虚偽であるといって非難することとは別のことであると考えるべきである。私は科学者たちが似非科学なるものを非難する場合、似非科学である所以を説明することと、それらが真実性を持たないであろうと考える根拠を示すこととをひとまず分けて議論すべきだと思うし、そうして欲しいものだと思う。

では、科学者が「似非科学」を贋物だとみなす根拠はどういうところにあるかが当面問題となる。私はその論点は主として用語の意味、定義の中にあると思う。

科学には多様な専門分野があり、それらの専門用語にはそもそもの最初から専門用語として作られた用語と、一般に用いられていた用語を特に専門用語として限定した意味で使われている場合とがある。前者をオリジナルの専門用語というなら、オリジナル専門用語を本来の定義から大きく外れた意味で、また本来の意味を大きく外れて誤解された上で使用された場合、これは明らかに似非科学に値するだろう。一方、日用語を特殊な限定された意味で自然科学用語として用いられるようになった用語も沢山ある。とくに物理・化学の最も基本的な用語がその種の言葉である事は、特に注目すべきことであると思う。例えば、力、仕事、熱、波、波動、振動、これらは全て物理学の最も基本的な用語であると同時に、日常語としても最も基本的な、頻繁に用いられる言葉であることだ。エネルギーに関してはちょっと微妙なところがある。この語は日本語には最初から物理用語として入ってきたのかもしれない。しかし、西欧語としては物理用語となる以前から存在し、使用されていた言葉だろう。そして日本語でも広く日常語としても使用される言葉である。

また、「似非科学」とされる諸々の主張に波動、振動に関わるものが多いことには注意を払うべきだろうと考えている。

とにかく、似非科学なるものについて考える場合、言葉の問題、用語の意味について、よくよく考えてみるべきだと思う。特に科学用語が近代科学で用いられている概念と違った用いられ方がされている場合、それを近代科学で証明されていることではないということはできるだろうが、それだけで一概に切り捨てるべき問題かどうか、それは科学そのものへの考え方に掛かっているともいえる。

月曜日, 1月 01, 2007

NHK、番組作りの変化

最近、NHKの番組作りで変化したと思える傾向がある。色んな面で変化しているのかも知れないが、少なくとも私の気になる、感じのよくない変化の傾向が一つある。さしあたりそれは次の三つの番組で気づかれる傾向である。その三つの番組は「その時歴史は動いた」、「美のつぼ」、そして「N響アワー」である。

「その時歴史は動いた」は、もう何年も前から同じ調子で続いているので、この中では最も早くその変化が現れた番組といえるかもしれない。その前身ともいえる一連の歴史番組に比べて変わった点といえるのは、以前の番組ではゲストの歴史家や作家が自身の言葉で話す時間が多く、アナウンサーは殆ど聞き手に終始していたのに対し、「その時歴史は動いた」ではゲストの出番が少なく,殆どがアナウンサーの独壇場とでもいえる構成になっていることである。

この番組作りは最近始まった番組である「美のつぼ」にも共通しているように思える。この番組では専門家は全く姿も名前も現さず、姿は表さないが多少押し付けがましく聞こえる声のアナウンサーが出演者の谷啓氏に「美のつぼ」を教えるという構成になっている。そのアナウンサーのセリフと話し方にはどうも抵抗を感じさせるものがある。内容自体は面白いのであるけれども、こういう構成のために、少なくとも私にとって、楽しみは半減している。

「N響アワー」は何十年も続いている長い番組だが、今年度からは池辺晋一郎氏が出演していることは前年度と変わらないものの、前回まで登場していなかったNHKのアナウンサが登場し、番組を進行させるようになった。前回までは作曲家の池辺晋一郎氏が毎年入れ替わるアシスタントの女優さんなどを相手に、少なくとも見かけ上は自由に音楽について語るような構成になっていたのだけれども、今回もそういう部分は多少残されているのであるけれども、アナウンサーが進行の主導権をもつような形になり、やはり面白さが半減してしまった。

一方、好ましい方向に変わったと思える番組もある。脳科学者とアナウンサーではないと思える女性の二人が司会をする「仕事の流儀」という番組は、以前の「プロジェクトX」を引き継ぐような面があると思えるのだが、もしそうだとすれば良い方向に変わったように思われる。「プロジェクトX」は始まった頃は何度か見たが、数回でいやになり、内容には興味があるような場合でも見ないようにしていた。技術に関わる番組なのだからもっと技術に焦点をあてれば良かったと思っている。「地上の星」という、中嶋みゆきのテーマソングは人気があったが、どうも歌い方が荒っぽく、曲自体も良くは出来ていたと思えるが、真実味がない。これに対して「仕事の流儀」では司会者とのかなり本音での対話が中心となっているので、司会者と同感するかどうかは別として、興味を持てる内容になっており、十分に楽しめる番組になっている。