水曜日, 1月 06, 2021

心の四つの機能と感染症対策 ― ブログ・発見の発見の記事採録

以下の記事は筆者の別ブログ『発見の発見』の最新記事の再録です。ブログ・発見の発見は、一応何らかの学問分野に該当するような、多少は体系的なタイトルと内容で記事を書いています。ただ、今回の記事は本ブログで最近の一連記事のテーマであるCOVID-19感染症対策とマスクの問題に関係していますので、こちらの方にもそのまま再録することにしました。

タイトル:心の四つの機能と感染症対策

 COVID-19感染症対策については、オーソリティ側を含め多くの専門家のコメントがマスコミやネットを通じて日々伝えられている。ただし、意外でもあり不満でもあることのひとつは、心理学者や脳科学者などからの発信が少ないように見受けられることである。というのは、病気の予防対策というものは多分に精神面との係わりが大きいし、さらに免疫機能にも関わる問題であり、免疫機能については精神面との強い関係に言及されることが多い。一言でいって心身相間に深く関わっていると思われるけれども、この心身相間の問題は話題に上されるようになって久しいが、最近に至って権威筋の方で話題になる機会が少なくなってきているように思われる。もちろんマスコミや一般教育を通じて一般人に伝わる限りにおいての話である。今般のCOVID-19感染症対策においてはロックダウン、三蜜、マスク着用といった極めて心理的、あるいはメンタルな、それも個人的のみならず人間関係において影響力の大きな対策が中心となっている。こういう場面においてこそ心理学者や、医学においても心身医学といった分野の専門家の出番ではないかと思うのだが、特にオーソリティの側ではそういう動向が見られないことに不満が持たれる。世界的にその傾向があるのではないだろうか?


私はかなり若い頃、20代の頃に、心の四機能について説かれた有名なユングの著作『心理学的類型』を読んで感銘を受けたことが消えない記憶として残っている。感覚、感情、思考、直観、という四つの概念はそれ以前から当然あり、哲学的または心理学的に考究されていたには違いないが、この著作ではそれらが心の四つの機能として体系的に概念化されていたこと、そして特に直観について印象的な考察が行われていたことに強い印象を受けた。その後私自身は心理学を専攻することも、歴史的に研究することもなかったが、ときおり心理学方面の話題に触れる機会はあった。この期に及んで思うに、この間この点におけるユングのこの業績(あくまで心の四つの機能に限定した業績)がどのように受け継がれ、進展させられたのかが気になることもあったが、その後の、学問研究とは無縁な経歴上、学問的な動向については通暁していない。しかしメディアや書籍情報を通じて漏れ伝わってくる限り、あまりこの点では進展がないような印象がある。

最近の傾向として感じられることは、以前は心理学の問題として心理学者によって、特に一般向けメディアを通じて話題に上されてきた問題が、心理学者ではなく脳科学者によって脳科学の業績として語られることである。脳科学と心理学はどう違うのかと考えて見ると、字面上、脳科学は臓器としての脳を対象とした生理学的研究を重視しているらしいことは見当がつく。しかし脳科学とは異なる印象がある精神分析学の開祖であるフロイトは神経科学の研究からスタートしたのであり、精神分析学を樹立した後も神経科学を捨象したわけではないと思う。であるから、現代の脳科学は精神分析学とは別系統であるとは言えず、一面で言えば、研究分野の名前が変わっただけという見方もできる。

フロイトは『精神分析学』という名称を商標のように、自説ないし自説に追随する言説に限定したので、ユングは自説を『分析心理学』と呼んだと言われている。この伝で言えば『脳科学』も、そういうブランド名のように考えることもできる。とはいえ脳科学はその言葉の本来の概念を適用すればもっと広範な領域を含意しているような印象を受ける。いずれにせよ問題なのはこのように学問の分野名ないし分類名が変わることによって、それまでのその分野の成果から大切な要素が忘れ去られたり、はじき出されたりするのではないかという危惧である。その意味で、ユングの『心の四つの機能』はもっと応用され、再検討され、多面的に展開されるべきではないかと考えている。

そこでこの心の四機能を、タイトルと冒頭で言及したCOVID-19感染症対策の問題に適用してみたい。この感染症対策としてはいろいろ問題にされているが、代表例として最も目立つマスク着用の判断という問題との関連で少し考察してみたい。もっともユングの『心理学的類型』における理論は心の四機能と外向的、内向的という概念と結びついているので複雑であるし、私はそれを総合的に理解しているわけでもない。以下の考察は単にマスク着用の是非判断にこれらの四機能がどのように寄与しているかという大雑把な考察のみである。当然、医学専門家、法律家、行政側、一般公衆、等々といった立場の違いなども考慮できるようなゆとりもない。

感覚との関わり】
まず第一に、視覚、聴覚、触覚、その他の身体感覚、どの種の感覚によってもウィルスの挙動はもちろん、存在すらも知覚できないという基本事実を無視することはできない。したがって、感覚的にはマスク着用が快適であるか不快であるかが判断できるのみであって、感覚を元にその着用の是非を判断できるわけではない。

マスク着用では不快感の方が大きいことはまず間違いがない。寒い季節には身体に暖かさが得られるのでこれは快感といえるが、鼻まで覆うと冬季でも呼吸に悪影響が及ぶし、口の周囲がじめじめして不快である。またメガネをかけていれば視覚にも悪影響を及ぼす。

一方、これは感覚だけではなく感情にも関わっていると思われ、微妙なところだが、視覚に限らず身体感覚を考慮しても、感情的にはマスク着用で自らは守られているような安心感が得られることは確かであろう。ただしそのような安心感がメリットであるかデメリットであるかは別の問題である。


思考との関わり】
ウィルスはいかなる感覚でも直接感知できないものである。ウィルスによる感染という状態、感染や発病のメカニズムなどはすべて長い歴史上に積み重ねられた膨大な医学的研究成果に基づいているのであって、ウィルスやそれによる感染症という概念自体が感覚でも感情でも直観でもなく思考機能に基づいている。とはいえ、思考のプロセス中に感覚は欠かせないものであり、また感情や直観が影響を及ぼす可能性はある。ウィルスによる感染症の概念と、その感染拡大に対する防衛としてマスクを着用するということ、それも感染症の症状を持つ患者や特定の検査結果の陽性者のみならず国民全体が常にマスクを着用して生活すべきだという現在の国家的方針との関係が科学的思考のみに基づいているとは常識的にも到底想像できないことは言うまでもないことだろう。

一つの問題として、ウィルス感染とか感染拡大、何らかの検査における陽性反応、等々、諸々の概念自体にどれほどの確実性があるのかが心許ないといえるが、当面はそれらの概念のいわば言葉の土俵の上で考察するしかない。

科学的な考察を進めるうえでは大きく分けて次の二つの異なる方向性がある。①一方は実験を含めたメカニズムの理論的考察であり、②もう一方は過去のデータによる統計的な分析である。ここでこれ以上考察を進めるいとまはないが、現実問題として②の方向性をとらざるを得ないのではないだろうか。個人的には結論としてマスク着用、正確に言えば全国民的なマスク着用の感染防止効果は確認できていない印象を持っている。

感情との関わり】
マスク着用に関する感情的な反応は、自分自身のマスク着用に対する判断における動機と、他人のマスク着用に対する印象とに分けられると言える。第一に挙げられる要素は『恐怖』、すなわちウィルス感染と重症化、さらには死に対する恐怖であることには間違いがない。しかし、病気や死に対する恐怖心はだれにでもあり、一方に安心感というものもある。恐怖と言うのは潜在的には常にあるが、恐怖の原因によって呼び覚まされるものである。恐怖にしても安心感にしても、それらを呼び起こすものはウィルス感染症とマスク着用効果に対する知識であり、それは思考作用の結果とはいえるが、その結果は自分自身の思考による場合と他者の思考による場合がある。もちろん純粋にその両者の一方だけということはあり得ない。また自分以外の他者は多人数であり、メディアを通じてさらに多人数である。それぞれ思考の特性、端的に言って考え方も違っていれば利害関係もある。

直観との関わり】
直観について考察するのは難しい。今の私はユングが述べている直観についてよく理解しているわけでもないし、ユングが影響を受けたカント哲学にさかのぼって考察できるような素養も持ち合わせていない。ただ、これはカントでもユングでもないが、カッシーラーが『シンボル形式の哲学』の最終巻で、『表情機能』というものについて述べていることが思い起こされるのである。この辺りはこの著作の中でも最も難解かつ深遠な部分のように思われ、私に十分理解できたとも思えないが、直感に最も関係があるようにも思われる。一方、人がマスクをしている他人を見て大いに気になることの一つは表情の問題である。顔の下半分、特に口元が隠されることにより表情が読み取りにくくなったり、悪い印象を受けたりすることによる弊害が指摘されている。これは立場によりメリットともデメリットともなり得るが、この表情を表現したり、表情を読み取る心の機能は感情機能とも思考機能とも感覚機能とも異なるが、直感ともっとも関係が深いようにも思われる。この場合は感覚機能の中では視覚と関係が深いが、視覚以外の身体感覚にも関係がないとも思えない。この問題は少なくとも個人的に、今後の課題となりそうな予感がしている。