金曜日, 10月 23, 2020

ウィルス感染対策としてのマスク(非)着用の論理

 前回と前々回の記事で、ウィルス感染対策として、少なくとも国レベルでマスク着用を義務化あるいは要請することに意味がないことが、スウェーデンの経験から判明しているという考えを述べた。もちろんそれは国のようなレベルで、全体として統計的な結果が意味を持つ単位での対策としてであって、個々の環境や個人的なレベルでの是非はまた別の問題である。それについては同記事で引き続いて考察し、述べている。また、上記は統計的な結果にのみ基づくもので、具体的なメカニズムや個々のメリット、デメリットについては詳しく考察していないので、もとより専門的な知見からでは全くないが、日常的な言葉で可能な論理の範囲から考察してみたい。

【スウェーデンの実績が持つ意義と重要性】
その前にまず、スウェーデンの実績から国家的なレベルでマスク着用を求める必要がないという結論を導き出すという、一見単純な論理の重さをもう少し強調したいと思う。一般にマスク着用やロックダウンなど三蜜対策を要求する論理は感覚的な直観のみに訴えるのみであって正確で具体的な論理を欠いている場合が多い。例えばつい最近ツイッターで見られた次のような主張である。

「オランダ人もあまり規制を好まない。そこで、コロナ感染が急増しており、病院がパンク状態になりつつある。」

ここでは単純に、[オランダ人が規制を好まない]という事実認識と[コロナ感染急増]という事実認識を恣意的に結び付けているだけであって論理が何もない。感覚的な印象に訴えるだけである。この論者は同じようなツイートを沢山しているが、いずれも個々のケースの印象だけで単純に結論を述べているだけであって、2つ以上のケースを比較するという視点が全く見られない科学的な論理は「比較」から始まるのである。スウェーデンのケースから結論を導いた私の論理は一見、スウェーデンの実績のみに基づいているように見えるが、実際にはスウェーデンと他の諸国との比較に基づいているのである。


ここで今回の本題に戻りたい。まずいくつかの前提事項を整理してみたい。

【他のウィルス感染対策と比較した場合のマスク着用の際立った特徴】
マスク着用には他の個人的ウィルス感染対策とは明らかに異なる際立った特徴がある。それは視覚的に、その個人が対策を行っていることが一目瞭然であることに尽きるといえる。これは実際の対策の効果とは無関係であることに注目すべきである。それは、マスクは眼に見えるがウィルスは眼に見えないという事実に他ならない。つまり、マスク着用自体は一目瞭然であるが、その効果については他の対策と同様に一目瞭然では全くないのである。

【専門家の知見に基づいて一般にも通用しているマスクの効果】
これには、科学的にもいろいろな意見があると思うが、まず次の2点が一般的に合意されていると考えられる。
(1)普通のマスクはウィルスを通過させる。
(2)マスクは着用者が鼻や口から飛沫が飛ぶことを防止する。

注意すべきことは、いずれもウィルスによる感染とは関係がありそうではあるが、本来は別の問題であるということである。問題なのはこの時点で思考が停止してしまい、ここから直接ウィルス感染の議論に飛躍してしまうことだ。そして、(1)はマスク無用論の論拠となり、(2)はマスク有用論の根拠となる。そこで誰もがウィルス感染者である可能性があることから、(2)の論拠が優先され、マスク有用論が優勢になっていると言える。

しかしここには前述のとおり、ウィルス感染とは何かという、考察すべき問題の飛躍があることに加え、マスク着用に伴うその他のメリットやデメリットが、全く考慮されていないという問題がある。

マスク着用のその他のメリット】
取り合えず次の点は私の個人的体験からも確実に言えると思われる。
(A)寒冷時に呼吸器内の温度と湿度の低下を緩和する。これは免疫作用にも良い影響を与えるかもしれない。
(B)着用している側では心理的な安心感が得られる。

【マスク着用のデメリット】
個人的に気付いたり、教えられたりした範囲でデメリットを列挙してみたい。
(a)寒冷期以外では上記(A)と逆の結果となる。呼吸機能の低下や夏季における体温の過剰な上昇や湿気による不快感が原因で免疫力の低下につながる恐れがある。
(b)マスクにはウィルスが滞留するがマスクには手を触れざるを得ない。マスクによって接触によるウィルスの移動可能性がむしろ増えるのではないか?これはあまり指摘されることがないが、実は誰もが内心気になっているのではないだろうか?他の人が実際に清潔なマスクをしているかなど、誰もチェックしていないし、できもしない。
(c)マスクは一種の覆面であり、公共の場でマスクをした姿が普通の状況になることによる心理的な影響については深刻な危惧がもたれる。例えばつい最近、Twitterで次のような投稿に遭遇した:https://twitter.com/GodChild_jp/status/1319171122336722944
何よりもマスク姿は心理的に気分を低下させるし、それが免疫力にも悪影響を与えると言われている。
(d)メガネが曇る。これは私が個人的にも最も困っているデメリットであるけれども強度の近視や乱視でメガネなしでは外出できないような人たちにとっては切実な問題で、深刻な危険を伴うものである筈である。

【東京大学で行われたマスク防御効果の実験について】
実は、以上の記述内容はだいたい昨日に書いたものである。昨日の深夜、テレビ東京のWBSニュースを見ていたら、実際の新型コロナウィルスを使ってマスクの防御効果をテストしたという東京大学で行われた実験結果が伝えられた。それによると、得られた数値は飛沫状の水に含まれた新型コロナウィルスのマスクによる透過率と言うべきもので、それらの数値は正確に記憶していないが、総合的に50%前後であった。しかしその数値がそのまま防御率という概念につながるいうことは難しいと思う。早い話が、マスク着用によってマスクにウィルスが滞留するので、皮膚接触によるリスクが逆に増えることすら考えられるのである。根本的には、次に述べるように、ウィルスの存在や移動とウィルスに感染するということはまた別の概念である。結局のところこの結果はマスク着用の1つのメリットと言える範囲であり、「防御効果」という、ある意味総合的で定義の難しい概念に帰着させるべきではないと思う。


詰まるところ、最も基本的な問題は、単なるウィルスの存在や移動と、ウィルス感染との関係性が明確ではないことにある。もっと端的に言えばウィルス感染、具体的に言えば新型ウィルス感染とは一体どういうことなのか、そもそも感染あるいは感染者の定義はどういうことであるのかという問題に尽きるのではないだろうか。現在、毎日「感染者」という言葉がニュースで発せられる。しかしこの新型コロナ事件が問題になる以前に感染者という言葉はそんなに聞いた記憶がない。似た言葉で患者や罹患者、あるいは保菌者というような言葉はよく聞いたことがある。ウィルスと細菌の場合で、あるいはウィルスにしても細菌にしてもその種類によって性質はさまざまであることは分かるが、今回ほど感染者と言う一つの言葉に日々政府関係者やマスコミが一喜一憂しているような経験は初めてである。そこで私は今年の四月に別ブログ「意味の周辺」で次のような記事を書いた。「感染者という言葉の一人歩き」という記事である。その後数か月経ってから今ではかなり知られるようになったあの大橋眞・徳島大学名誉教授のユーチューブ抗議シリーズに遭遇して、改めて感染という概念についてかなり理解を深めることができたと考えている。この先生は「新型コロナウィルスの存在自体の懐疑論者」として言及されることが多いように見受けられるが、例のユーチューブシリーズで説かれていることはそれ以上にPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査の本質や感染、感染者の概念と言った基本的な認識についての説明であり、私達は新型コロナウィルスの存在自体の問題よりもまず、それらの説明について耳を傾けるべきである。そこで私達は、ウィルスに感染するということはウィルスが我々の身体の細胞に入って増殖することであって、それは何らかの症状となって現れるはずであり、無症状の人からウィルスが検出されたとしても、それでその人がウィルスに感染しているとは言えないのではということを教えられる。改めて自分で考えて見ても、それはもっともな話である。そもそも人は四六時中呼吸をして息を吐き続けている。一時的に呼吸器内にウィルスが侵入したとしても、それが体内で増殖しなければ、絶えず吐き続ける息からウィルスを拡散し続けるようなことができるわけはないのである。これは専門家にとっては常識であったのだろう。だからこそ、はじめは、症状のある人に対してのみマスク着用を求める意見が多かったのである。それが先にも述べたように「マスクは飛沫の拡散を防ぐ」という、一つの分かりやすい説明だけで多くの人々が思考を停止してしまったようなものである。

【病原体の存在や移動と個人の抵抗力(免疫力)との二面性】
ある程度でも感染の概念に気が付くようになれば、ウィルスへの感染について考える場合、常に病原体の存在や移動と個人の免疫力との二面性を考慮すべきことに気づく。ウィルスの存在と移動の原因は多分に不可抗力によるが、個人の免疫力についてはもちろん天性にもよるが、かなりの程度は各自の心掛けと努力次第でもある。上記のような様々なメリット、デメリットを勘案する場合にはまず免疫力に関わる要素を重視すべきであろう。

【まとめ】
という次第で、マスク着用または非着用については上記のようないくつもの前提事項、メリットやデメリットを個人個人が総合的に判断して、各自が判断すべき問題であると言える。国のような全体的なレベルで全員に着用を要請することには、上記スウェーデンの景観からも意味がないというべきである。もちろん、顕著な症状を持つ本来の意味での感染が疑われる個人についてはこれは該当しない。


水曜日, 10月 14, 2020

前回に続けて ― メディアの一部から垣間見えるマスク非着用デモンストレーションのサイン

前回の記事で、新型コロナ感染症対策として、国のような全体的なレベルでマスク着用の強制あるいは要請が意味がないことを理解するにはスウェーデンの経験を参考にするだけで十分だという考えを述べた。スウェーデンではマスクを強制も要請もしなかったにも関わらずほかのヨーロッパ諸国を上回るような「感染拡大」が生じなかった理由としては「集団免疫」ということがよく言われている。私はもちろん専門家でもなく個人的にもそこまで勉強していないので集団免疫の理論が正しいのかどうかはよくわからないが、何れにしても、このような結果を示すデータだけで十分であろうと思う。当面のマスク着用を考えるという目的では、理詰めで追究しなくても、単なる実証結果としてみるだけで充分であると思う。

というのも、この問題を理詰めで、理論的に議論しようとしても、マスク着用が不要であるかデメリットの方が大きいと考える私のような立場から、他の反対の考えを持つ人人に直接問題を投げかけると、必ず何らかの反論が提起される。そこで冷静に議論できれば良いけれども、普通はそうはゆかない。根拠を理論的なものではなくスウェーデンにおける経験のようなデータだけにとどめて置けば、そういう勝敗のような感情的な傷は少なく済む。

また最近はアメリカでも日本でも、米大統領選でトランプ氏を批判する目的でマスクを引き合いに出す有名無名のジャーナリストやツイッターが多い。そういう人達は最初からマスク着用の義務を前提として議論しているから、そもそもこの問題で議論を深める気は最初からない。

 

マスク着用への圧力は殆どメディアから、それも大部分はテレビを通してだろう。政府の広報も殆どテレビを通してである。ネットではツイッターからも相当なものである。昨日だったが、プロのダンサー達がマスクを着用して集団で踊っている外国の動画が単純にリツイートされていたが、このような職業ジャーナリストでもないツイッターも多い。このようにマスコミで伝わる情報の大部分は視覚を通じた印象によるもので、理詰めのものではないことは明らかである。マスクにはそういう視覚を通じた印象効果の部分が多いところが手洗いや消毒とは違うところだろう。本来的には手洗いや消毒の徹底ということが初期から言われており、初期にはマスクの効果はそれに比べて疑問視される傾向が強かったのである。それが今では手洗いや消毒とマスクの話題が逆転し、現実に街のスーパーやコンビニなどに入る人を見てもマスクをしても手の消毒は省略する人が多いということは視覚的な印象効果の大きさを物語っているといえる。

 

先日の日曜の夜、久しぶりにNHKテレビで『クラシック音楽館』を見た。実のところ最近はこの番組でN響の演奏を聴こうとしても、楽員のマスク姿を見るだけでそれ以上視聴を続ける気をそがれてしまうので、残念だけれども視聴することは避けていた。しかし、この日の最初のプログラムはシューマンの「四つのホルンのための協奏曲」である。四人のホルン奏者がマスクをすることはあり得ないので、この夜は期待してこの番組にチャンネルを合わせてみたところ、この日は楽員のほぼ全員がマスクを着用していなかった。最後列の目立たない位置に、申し訳程度にわずか数名の楽員がマスクを着用していただけだった。ただし、後に放映されたリハーサルでは識者を含めて見事に全員が、マスクなり透明シールドなりを着用していた。

本番においてマスクを外すことは、演奏者の見栄えという観点からは当然である。しかしマスク着用の本来の目的から言えば、リハーサルと本番で異なってよいということはあり得ない。つまるところ、N響の責任者とメンバーはほぼ全員が、マスク着用に意味がなく、少なくとも音楽演奏の場ではむしろ着用しない方が良いことを確信しているとしか思えないのである。

上記は、建前とは別に、本音でのマスク非着用デモンストレーションの意図の表れではないかと、個人的には思っている。この時期にホルンのような金管楽器が四つ並んで主役を務めるような曲を冒頭に持ってくるようなプログラミング自体にそれを感じる。

このような例は他の一般のテレビ番組にも垣間見られる。例の三蜜防止は事実上、出演者間では解除されているとも受け取れる。私はニュース番組ではテレビ東京のWBSを割とよく見るが、時々キャスターが政治家やビジネス界の要人にインタビューすることが多い。そのようなインタビューで、キャスターの方はマスクを着用してはいるが、インタビューされる側の政治家やビジネス界の要人はマスクを着用していないケースは多い。そのような要人たちが特権的にマスク着用を免除されてよいということはあり得ない。やはり、着用していない人は、マスクをしない方が良いと確信しているとしか思えないのである。

テレビニュースにおけるこのような状況はかなり以前から、垣間見えることがあった。街の光景を映し出す際に、マスクをしていない人にかなりの長時間スポットを当てたり、 メガネをかけた人がマスクを外す様子を何気なく映し出したりしているのに気づいたことがある。私の場合はマスク着用の最大のデメリットはメガネの曇りであり、これは1つのデメリットであることを超えて重大な危険要素である。ということで、こういうシーンは大いに共感を覚えたことであった。

前回も述べたように、地下鉄駅の構内放送や、大型店舗内の放送などでもマスク着用の要請は緩んできたような印象もある。私たちも、このようなサインには敏感に反応すべきであると思う。

木曜日, 10月 08, 2020

新型コロナ対策とマスク着用について、私の経験と考え

(この記事は私の別ブログ『矢車SITE』の最新(10月2日)記事から一部を多少編集して転載したものです。)

新型コロナ対策とマスク着用について、私の経験と考え

【これまでの体験】

さて、今回の帰郷でも所用以外で気になっていたことや考え続けたことは、言うまでもなく、新型コロナ騒動の事であった。何しろ道程中の殆どを四六時中、殆どがマスクをした群衆の中を通り抜けなければならないのだから。新型コロナ対策では、いまや個人的には全く心配していないのだが、こういう外出や旅行、さらに人に会うことで問題になることは、まずマスク着用の問題である。そこでマスク着用の問題について個人的な履歴と考えについてまとめておこうかと思う。

昨年暮れから今年にかけての冬の間、この問題がニュースに登場し始めた頃、私はやはり新型コロナ感染を恐れて、最初はよく行く上野方面に出かけることも避け、マスクも着用したかったのだが、あいにくすでに、どこに行ってもマスクは買えなかった。でもマスクでウィルス感染は防げないとは、昔からよく言われていたことなので、そんなに極端に恐れてインターネット経由で高額で入手しようとまでは思わず、マスクなしで外を歩いていたが、当時はすでに外を歩く人々の大半はマスクを着用していたので困りながら歩いていた。やがて、置き薬の箱に花粉症用のマスクが三枚入りの袋で入っていたことに気が付き、外出するときには着用するようになった。

もともと私は風邪をひきやすい方で、かつては毎年のように相当ひどい風邪を引いていたが、数年、四五年前になるかな、インターネット上の多用なサイトから得られる知識のおかげもあり(もちろんそれだけではないが)、もっぱら免疫力を高めることの重要さに目覚め、それまで無精でで週に一回程度であった入浴も毎日欠かさないようになって今に至っている。また、慢性鼻炎で鼻が詰まりやすく口呼吸をすることが多いせいか、扁桃腺から風邪を引きやすく、冬には加湿器を使うようになり、それ以来、重度の風邪を引かなくなったように思う。特に冬の加湿器の効果は大きいと感じられる。ちなみに風邪は専門家にもいまだによくわかっていないと言われるが、それは最もだと思う。個人によって、また年齢においても、症状にも個性があるように思われる。私の場合は大抵は扁桃腺の痛みから始まり、やがていつも同じような場所に蕁麻疹が生じて、腸の調子が悪くなり、下痢症状を引き起こすパターンが多い。ひどいときは筋肉痛や頭痛が起きる。ただ、上記のような免疫力対策を功を奏したのか、ここ数年間、寝込むほど症状が悪化することはなくなった。免疫力と言うものは未だに専門的にもよく分かっていないと言われるが、それはそうだろうと思う。また多様な風邪の症状にしても、お医者様にも本当のところはどれだけわかっているのか、結構怪しまれる。これまで医師の診断を受けた経験上、お医者様には申し訳ないが、そう思わざるを得ない。そんなわけで、新型コロナの症状にしても診断にしても、専門医自体がどこまでわかっているのやら、失礼ながら心もとない気がするのである。

そんなわけで、マスクをした場合には喉の乾燥と体温の低下防止に結構効果があるので、乾燥した寒いときにマスクを着用すると身体が守られているような安心感が得られ、寒いときにマスクを着用すのは嫌いではなかった。

しかし同時に私はかなり強い近視で、メガネなしで外を歩くのはやはり怖いのだが、マスクをすると見事にメガネが曇り、十分に危険なほどである。そういうわけで、室内ならいいのだが、交通量の多い外で、特に雨の日などはマスクをするのは危険と言っても間違いではなく、最初の頃からこの危険は風邪感染の危険よりは大きいのではないかと思っていた。そういうわけで、マスク着用を強く要請する向きには最初の、まだ寒い頃からかなりの不信感と反感を抱いていたことは確かである。

その後例によって猛暑を迎え、今や秋半ばにさしかかっているが、この間、行政側やジャーナリズム、インターネットの各種サイトを通して、様々な情報をえることができた今、マスク着用については次のような考えを持って対処してきた。

寒い間は外出時にマスクをしていたが、やはりメガネが曇ってくると外さざるを得なかった。

暖かく、さらに暑い時期が始まると外ではマスクを完全に着けないようになったが、店舗内に入ったり電車に乗ったりするするときだけ、胸ポケットに入れていた薄いマスクを着けるようにしていた。

この頃になると、街中を歩くときは完全にマスクを着用しなくなっていた。私の場合、出かけるのは大抵は夕方で4時半過ぎから5時半ころまでで、買い物であっても散歩を兼ねるものだから、外出時間は3時間に及ぶことがある。その時間帯の話になるが、一向にマスク着用者の数が減らないものだから、いらいらし、歩いている人たちに反感を感じるようにさえなってしまった。マスクの大きさや形状や色によっては不気味で気持ちが悪くなる場合さえある。しかし、日によって違うが、私が歩く範囲内では平均して1割程度の人たちがマスクなしで歩いていたような印象がある。年齢と性別、また風采や人相はあまり関係がないように思う。

以上のような中で先般、関西の方に帰郷してまた戻ってきたわけだが、この間、東京駅や新幹線の中などではマスク着用率は、近隣で体験していたよりは高かったことは確実である。非着用者は恐らく1パーセント以下だろう。

地元では滞在期間がわずかであったのでよくわからなかったが、東京の地元とはそう変わらない印象である。ただ、いわゆる「おっさん層」で非着用率が東京よりも高かったような印象がある。東京でもこの層では私を含め、比較的、非着用率が高く見えることは確かである。大阪の地元では近くに広い公園があるが、毎日のように公園に行くらしい姉の話では、その日の昼間、公園内ではだれもマスクをしていなかった、とのことであった。以前に一度電話で話した時に比べてかなり変化があるようだった。

ごく最近になって、私としては一つの決心をして、まず地下鉄に乗る時(最近は日常的に乗ることは少なくなったが)にマスクをしないようになり、つい最近に至ってはスーパーやコンビニでもマスクをしないようになった。ちょうど大阪からこちらに戻ったときから、地下鉄の構内放送ではマスク着用要請をアナウンスしなくなったように思う。もちろん、しょっちゅう乗っているわけではないので他の場合は分からない。一方、この一週間内に訪れた、近所にある2つのスーパーでは、マスク着用を要請する構内放送の内容が婉曲的になり、音量、頻度などが小さく、少なくなってきたように思う。これは行政側の変化の表れではないか、と思うのは考え過ぎだろうか?毎夕テレビニュースに現れる都知事の談話やその他のテレビニュースなどでは相変わらずのように思えるが。

例えば以前ある有名ドラッグストアに入ったとき、超有名店であるにも関わらず消毒用のアルコール瓶がごく小さく目立たないところに置いてあるうえ、空っぽだった記憶がある。マスクよりも消毒の方が、どちらかと言えばはっきりした効果があると思っていたので、少々腹が立ったのだが、今になってみるとそういういい加減さにむしろ好感を持つようになった。あまりマスク着用を厳しく要請するステッカーも目立たなかったし、こちらがマスク着用をしなくても店員の態度は全く変わらないし。

【私の考察と結論】

まず、新型コロナウィルス感染の実態とマスク着用の是非の問題は分けて考えるべきである。新型コロナウィルス感染状況の実態については素人でもあり、個人的に発言できるとしても、いまこのような形で総合的に判断することはできもしないし、したいとは思わない。しかしマスク着用の是非という問題については、に個人的に明確にしておきたいし、理解されることを望むからである。

  • 【スウェーデンの結果で十分総合的な判断として、マスク着用を国民全体に要請することで新型コロナウィルス感染拡大防止効果がないことは、もうスウェーデンの経験との比較から明らかになっており、それでもう十分であると言える。これはマスク着用と三蜜の両方について言える。スウェーデンでも公表される「感染者数」が完全に抑えられたわけではないにしても、マスク着用とロックダウンを実施している他のヨーロッパ諸国を顕著に上回ることはなかった。それで十分である。少なくとも一般人向けにマスク着用と三蜜の要請には、今回の新型コロナウィルスの感染拡大対策としては不要である。
  • 個人的判断のレベルでは、常にメリットとデメリットの両方を考慮する必要がある。私の場合は気道の水分と体温維持の点で冬季には気分的にはかなりメリットを感じるが、屋外ではメガネが曇るというデメリットは非常に大きく、危険な場合さえある。気温が低くなくてもメガネが曇る時は多い。夏季には冬季に感じるメリットは全くなく、事実上はデメリットばかりである。
  • 一般的なレベルでは、マスクを着けた人の口や鼻から出る飛沫を飛ばさないことがメリットであるという考えが定着している。ただこれは、普通の健康な人が飛ばす飛沫にどれだけの危険性があるかという問題が不問に付されているので、不明な点が多い。デメリットとして言われていることは、暑い季節にマスクを着けることによる不快感で体力や免疫力が低下すると言われる問題である。重要なことは、こういった体力や免疫力の低下は、単に新型コロナウィルスの感染症だけではなく、あらゆる病気と健康に関わるという点である。この問題については、健常者が飛ばす飛沫にどれだけの危険性確率があるかという問題に帰着する。その点での専門家による考察はあるはずであるが、大勢はそこまで考えない。マスクの飛沫拡散防止効果という時点で思考が停止しているのである。
  • 社会的レベル、というと抽象的になるので、人間関係のレベルと言えばよいだろうか。このレベルで考える場合、マスクは自分が感染しないために着けるのか、相手に感染させないために着けるのかという、心理的に微妙な問題が関係してくる。実際のところどちらにも意味がないということを両者が確信している場合、それがお互いにわかっている場合は何の問題もなく、周囲への対応の問題だけとなる。しかし現実にはそうではない場合が多い。一般的によく言われているように、マスクで自分の感染は防げないが、自分が感染している場合に飛沫を飛ばさずに相手を守ることができる、という考えが正しいかまたは信じている場合。その目的で着けているつもりでも、本心では自分が相手に感染させられることを恐れている場合もあるだろうし、誰でもそういう立場や心持ちはコロコロと変わる。こういう場合、相手が新型コロナウィルス感染を恐れていることがわかれば、議論は避けてマスクを着用するのが順当というものだろう。しかし、それで終われば後は永遠の平行線である。マスクのデメリットは他にもある。人々の心理的距離を分断するということだ。その分断が維持される。感染健常者のマスク着用に意味がないことを信じている立場からすれば、相手との心理的距離を近づけるためにも、努力をして相手を説得したいと思うだろう。一般に説得というものは容易ではない。どちらにも不純な気持ちが入り込む。その先はここで論議しても仕方がない。

以上までの内容を昨日の夕方までに書き込んだ後、買い物を兼ねた散歩で外出したところ、マスクを着用していない人の割合は、一昨日に比べて圧倒的に減少していた。一昨日は10パーセント程度に思えたが、昨日は1パーセントにも満たないだろうと思われた。がっかりしながら歩いていたのだけれども、後から考えるとこれは時間帯によるところが大きいことに気が付いた。一昨日に外出したのは3時半だったが、昨日は5時半であった。通勤者の帰宅時間であったことを考えると納得がゆく。食品スーパーの中も同じ。

とはいえ、以前と同様、対向する歩行者に避けられたり、あるいは電車内、スーパーなど店舗の入口や中で警告されたような経験は私の過ごしてきた環境では殆どなかった。ちなみに食品スーパーのようなところではマスクを着けずに入っても手のアルコール消毒は、瓶が見つかればできるだけするようにしている。現実にはマスクを着用しても手の消毒をしない人の方が多い。

これから気温が下がってゆき、マスクを着用してもそれほど苦痛ではなくなるだろうから、個人的に寒さに弱く、また耳鼻咽喉系が弱い私としては、マスクを着用した方が良いと思われるような機会も出てくるかと思う。しかしメガネが曇ることは依然として非常に大きなデメリットであることを超え、危険性というべきである。この問題についてはマスコミで取り上げられなかったわけでもないが、重要性が全く強調されていない。という次第で、私の場合はこれからも原則的にマスク非着用を続けそうである。