水曜日, 10月 14, 2020

前回に続けて ― メディアの一部から垣間見えるマスク非着用デモンストレーションのサイン

前回の記事で、新型コロナ感染症対策として、国のような全体的なレベルでマスク着用の強制あるいは要請が意味がないことを理解するにはスウェーデンの経験を参考にするだけで十分だという考えを述べた。スウェーデンではマスクを強制も要請もしなかったにも関わらずほかのヨーロッパ諸国を上回るような「感染拡大」が生じなかった理由としては「集団免疫」ということがよく言われている。私はもちろん専門家でもなく個人的にもそこまで勉強していないので集団免疫の理論が正しいのかどうかはよくわからないが、何れにしても、このような結果を示すデータだけで十分であろうと思う。当面のマスク着用を考えるという目的では、理詰めで追究しなくても、単なる実証結果としてみるだけで充分であると思う。

というのも、この問題を理詰めで、理論的に議論しようとしても、マスク着用が不要であるかデメリットの方が大きいと考える私のような立場から、他の反対の考えを持つ人人に直接問題を投げかけると、必ず何らかの反論が提起される。そこで冷静に議論できれば良いけれども、普通はそうはゆかない。根拠を理論的なものではなくスウェーデンにおける経験のようなデータだけにとどめて置けば、そういう勝敗のような感情的な傷は少なく済む。

また最近はアメリカでも日本でも、米大統領選でトランプ氏を批判する目的でマスクを引き合いに出す有名無名のジャーナリストやツイッターが多い。そういう人達は最初からマスク着用の義務を前提として議論しているから、そもそもこの問題で議論を深める気は最初からない。

 

マスク着用への圧力は殆どメディアから、それも大部分はテレビを通してだろう。政府の広報も殆どテレビを通してである。ネットではツイッターからも相当なものである。昨日だったが、プロのダンサー達がマスクを着用して集団で踊っている外国の動画が単純にリツイートされていたが、このような職業ジャーナリストでもないツイッターも多い。このようにマスコミで伝わる情報の大部分は視覚を通じた印象によるもので、理詰めのものではないことは明らかである。マスクにはそういう視覚を通じた印象効果の部分が多いところが手洗いや消毒とは違うところだろう。本来的には手洗いや消毒の徹底ということが初期から言われており、初期にはマスクの効果はそれに比べて疑問視される傾向が強かったのである。それが今では手洗いや消毒とマスクの話題が逆転し、現実に街のスーパーやコンビニなどに入る人を見てもマスクをしても手の消毒は省略する人が多いということは視覚的な印象効果の大きさを物語っているといえる。

 

先日の日曜の夜、久しぶりにNHKテレビで『クラシック音楽館』を見た。実のところ最近はこの番組でN響の演奏を聴こうとしても、楽員のマスク姿を見るだけでそれ以上視聴を続ける気をそがれてしまうので、残念だけれども視聴することは避けていた。しかし、この日の最初のプログラムはシューマンの「四つのホルンのための協奏曲」である。四人のホルン奏者がマスクをすることはあり得ないので、この夜は期待してこの番組にチャンネルを合わせてみたところ、この日は楽員のほぼ全員がマスクを着用していなかった。最後列の目立たない位置に、申し訳程度にわずか数名の楽員がマスクを着用していただけだった。ただし、後に放映されたリハーサルでは識者を含めて見事に全員が、マスクなり透明シールドなりを着用していた。

本番においてマスクを外すことは、演奏者の見栄えという観点からは当然である。しかしマスク着用の本来の目的から言えば、リハーサルと本番で異なってよいということはあり得ない。つまるところ、N響の責任者とメンバーはほぼ全員が、マスク着用に意味がなく、少なくとも音楽演奏の場ではむしろ着用しない方が良いことを確信しているとしか思えないのである。

上記は、建前とは別に、本音でのマスク非着用デモンストレーションの意図の表れではないかと、個人的には思っている。この時期にホルンのような金管楽器が四つ並んで主役を務めるような曲を冒頭に持ってくるようなプログラミング自体にそれを感じる。

このような例は他の一般のテレビ番組にも垣間見られる。例の三蜜防止は事実上、出演者間では解除されているとも受け取れる。私はニュース番組ではテレビ東京のWBSを割とよく見るが、時々キャスターが政治家やビジネス界の要人にインタビューすることが多い。そのようなインタビューで、キャスターの方はマスクを着用してはいるが、インタビューされる側の政治家やビジネス界の要人はマスクを着用していないケースは多い。そのような要人たちが特権的にマスク着用を免除されてよいということはあり得ない。やはり、着用していない人は、マスクをしない方が良いと確信しているとしか思えないのである。

テレビニュースにおけるこのような状況はかなり以前から、垣間見えることがあった。街の光景を映し出す際に、マスクをしていない人にかなりの長時間スポットを当てたり、 メガネをかけた人がマスクを外す様子を何気なく映し出したりしているのに気づいたことがある。私の場合はマスク着用の最大のデメリットはメガネの曇りであり、これは1つのデメリットであることを超えて重大な危険要素である。ということで、こういうシーンは大いに共感を覚えたことであった。

前回も述べたように、地下鉄駅の構内放送や、大型店舗内の放送などでもマスク着用の要請は緩んできたような印象もある。私たちも、このようなサインには敏感に反応すべきであると思う。

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