金曜日, 10月 23, 2020

ウィルス感染対策としてのマスク(非)着用の論理

 前回と前々回の記事で、ウィルス感染対策として、少なくとも国レベルでマスク着用を義務化あるいは要請することに意味がないことが、スウェーデンの経験から判明しているという考えを述べた。もちろんそれは国のようなレベルで、全体として統計的な結果が意味を持つ単位での対策としてであって、個々の環境や個人的なレベルでの是非はまた別の問題である。それについては同記事で引き続いて考察し、述べている。また、上記は統計的な結果にのみ基づくもので、具体的なメカニズムや個々のメリット、デメリットについては詳しく考察していないので、もとより専門的な知見からでは全くないが、日常的な言葉で可能な論理の範囲から考察してみたい。

【スウェーデンの実績が持つ意義と重要性】
その前にまず、スウェーデンの実績から国家的なレベルでマスク着用を求める必要がないという結論を導き出すという、一見単純な論理の重さをもう少し強調したいと思う。一般にマスク着用やロックダウンなど三蜜対策を要求する論理は感覚的な直観のみに訴えるのみであって正確で具体的な論理を欠いている場合が多い。例えばつい最近ツイッターで見られた次のような主張である。

「オランダ人もあまり規制を好まない。そこで、コロナ感染が急増しており、病院がパンク状態になりつつある。」

ここでは単純に、[オランダ人が規制を好まない]という事実認識と[コロナ感染急増]という事実認識を恣意的に結び付けているだけであって論理が何もない。感覚的な印象に訴えるだけである。この論者は同じようなツイートを沢山しているが、いずれも個々のケースの印象だけで単純に結論を述べているだけであって、2つ以上のケースを比較するという視点が全く見られない科学的な論理は「比較」から始まるのである。スウェーデンのケースから結論を導いた私の論理は一見、スウェーデンの実績のみに基づいているように見えるが、実際にはスウェーデンと他の諸国との比較に基づいているのである。


ここで今回の本題に戻りたい。まずいくつかの前提事項を整理してみたい。

【他のウィルス感染対策と比較した場合のマスク着用の際立った特徴】
マスク着用には他の個人的ウィルス感染対策とは明らかに異なる際立った特徴がある。それは視覚的に、その個人が対策を行っていることが一目瞭然であることに尽きるといえる。これは実際の対策の効果とは無関係であることに注目すべきである。それは、マスクは眼に見えるがウィルスは眼に見えないという事実に他ならない。つまり、マスク着用自体は一目瞭然であるが、その効果については他の対策と同様に一目瞭然では全くないのである。

【専門家の知見に基づいて一般にも通用しているマスクの効果】
これには、科学的にもいろいろな意見があると思うが、まず次の2点が一般的に合意されていると考えられる。
(1)普通のマスクはウィルスを通過させる。
(2)マスクは着用者が鼻や口から飛沫が飛ぶことを防止する。

注意すべきことは、いずれもウィルスによる感染とは関係がありそうではあるが、本来は別の問題であるということである。問題なのはこの時点で思考が停止してしまい、ここから直接ウィルス感染の議論に飛躍してしまうことだ。そして、(1)はマスク無用論の論拠となり、(2)はマスク有用論の根拠となる。そこで誰もがウィルス感染者である可能性があることから、(2)の論拠が優先され、マスク有用論が優勢になっていると言える。

しかしここには前述のとおり、ウィルス感染とは何かという、考察すべき問題の飛躍があることに加え、マスク着用に伴うその他のメリットやデメリットが、全く考慮されていないという問題がある。

マスク着用のその他のメリット】
取り合えず次の点は私の個人的体験からも確実に言えると思われる。
(A)寒冷時に呼吸器内の温度と湿度の低下を緩和する。これは免疫作用にも良い影響を与えるかもしれない。
(B)着用している側では心理的な安心感が得られる。

【マスク着用のデメリット】
個人的に気付いたり、教えられたりした範囲でデメリットを列挙してみたい。
(a)寒冷期以外では上記(A)と逆の結果となる。呼吸機能の低下や夏季における体温の過剰な上昇や湿気による不快感が原因で免疫力の低下につながる恐れがある。
(b)マスクにはウィルスが滞留するがマスクには手を触れざるを得ない。マスクによって接触によるウィルスの移動可能性がむしろ増えるのではないか?これはあまり指摘されることがないが、実は誰もが内心気になっているのではないだろうか?他の人が実際に清潔なマスクをしているかなど、誰もチェックしていないし、できもしない。
(c)マスクは一種の覆面であり、公共の場でマスクをした姿が普通の状況になることによる心理的な影響については深刻な危惧がもたれる。例えばつい最近、Twitterで次のような投稿に遭遇した:https://twitter.com/GodChild_jp/status/1319171122336722944
何よりもマスク姿は心理的に気分を低下させるし、それが免疫力にも悪影響を与えると言われている。
(d)メガネが曇る。これは私が個人的にも最も困っているデメリットであるけれども強度の近視や乱視でメガネなしでは外出できないような人たちにとっては切実な問題で、深刻な危険を伴うものである筈である。

【東京大学で行われたマスク防御効果の実験について】
実は、以上の記述内容はだいたい昨日に書いたものである。昨日の深夜、テレビ東京のWBSニュースを見ていたら、実際の新型コロナウィルスを使ってマスクの防御効果をテストしたという東京大学で行われた実験結果が伝えられた。それによると、得られた数値は飛沫状の水に含まれた新型コロナウィルスのマスクによる透過率と言うべきもので、それらの数値は正確に記憶していないが、総合的に50%前後であった。しかしその数値がそのまま防御率という概念につながるいうことは難しいと思う。早い話が、マスク着用によってマスクにウィルスが滞留するので、皮膚接触によるリスクが逆に増えることすら考えられるのである。根本的には、次に述べるように、ウィルスの存在や移動とウィルスに感染するということはまた別の概念である。結局のところこの結果はマスク着用の1つのメリットと言える範囲であり、「防御効果」という、ある意味総合的で定義の難しい概念に帰着させるべきではないと思う。


詰まるところ、最も基本的な問題は、単なるウィルスの存在や移動と、ウィルス感染との関係性が明確ではないことにある。もっと端的に言えばウィルス感染、具体的に言えば新型ウィルス感染とは一体どういうことなのか、そもそも感染あるいは感染者の定義はどういうことであるのかという問題に尽きるのではないだろうか。現在、毎日「感染者」という言葉がニュースで発せられる。しかしこの新型コロナ事件が問題になる以前に感染者という言葉はそんなに聞いた記憶がない。似た言葉で患者や罹患者、あるいは保菌者というような言葉はよく聞いたことがある。ウィルスと細菌の場合で、あるいはウィルスにしても細菌にしてもその種類によって性質はさまざまであることは分かるが、今回ほど感染者と言う一つの言葉に日々政府関係者やマスコミが一喜一憂しているような経験は初めてである。そこで私は今年の四月に別ブログ「意味の周辺」で次のような記事を書いた。「感染者という言葉の一人歩き」という記事である。その後数か月経ってから今ではかなり知られるようになったあの大橋眞・徳島大学名誉教授のユーチューブ抗議シリーズに遭遇して、改めて感染という概念についてかなり理解を深めることができたと考えている。この先生は「新型コロナウィルスの存在自体の懐疑論者」として言及されることが多いように見受けられるが、例のユーチューブシリーズで説かれていることはそれ以上にPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査の本質や感染、感染者の概念と言った基本的な認識についての説明であり、私達は新型コロナウィルスの存在自体の問題よりもまず、それらの説明について耳を傾けるべきである。そこで私達は、ウィルスに感染するということはウィルスが我々の身体の細胞に入って増殖することであって、それは何らかの症状となって現れるはずであり、無症状の人からウィルスが検出されたとしても、それでその人がウィルスに感染しているとは言えないのではということを教えられる。改めて自分で考えて見ても、それはもっともな話である。そもそも人は四六時中呼吸をして息を吐き続けている。一時的に呼吸器内にウィルスが侵入したとしても、それが体内で増殖しなければ、絶えず吐き続ける息からウィルスを拡散し続けるようなことができるわけはないのである。これは専門家にとっては常識であったのだろう。だからこそ、はじめは、症状のある人に対してのみマスク着用を求める意見が多かったのである。それが先にも述べたように「マスクは飛沫の拡散を防ぐ」という、一つの分かりやすい説明だけで多くの人々が思考を停止してしまったようなものである。

【病原体の存在や移動と個人の抵抗力(免疫力)との二面性】
ある程度でも感染の概念に気が付くようになれば、ウィルスへの感染について考える場合、常に病原体の存在や移動と個人の免疫力との二面性を考慮すべきことに気づく。ウィルスの存在と移動の原因は多分に不可抗力によるが、個人の免疫力についてはもちろん天性にもよるが、かなりの程度は各自の心掛けと努力次第でもある。上記のような様々なメリット、デメリットを勘案する場合にはまず免疫力に関わる要素を重視すべきであろう。

【まとめ】
という次第で、マスク着用または非着用については上記のようないくつもの前提事項、メリットやデメリットを個人個人が総合的に判断して、各自が判断すべき問題であると言える。国のような全体的なレベルで全員に着用を要請することには、上記スウェーデンの景観からも意味がないというべきである。もちろん、顕著な症状を持つ本来の意味での感染が疑われる個人についてはこれは該当しない。


0 件のコメント: