火曜日, 4月 26, 2011

稲恭宏博士の講演をUチューブで聞き、考えたこと(その3―最終)

先般、2回にわたってこのテーマでメモを公開しました。それからもうそろそろ3週間になろうとしてますが、その間も私の立場と境遇から言えば他の事に時間を使うべきとの気持ちを抑えて、この問題に時間を割くことを余儀なくさせられる気分から逃れることができず、自分なりにネットで放射線に関する勉強と調査を続けました。その結果を ― 今度は少々長くなり、内容的にもこのブログよりも別のブログに相応しいように思えましたので、次の別サイトに掲載しました。

この問題を勉強して考える前にまず、私が稲博士に好感を持ったことが影響を及ぼしていることは間違いありません。但し単に印象的、直感的にそう思ったというだけでもなく、かなり正当な理由もあります。それは、博士が遺伝子治療技術に成果をあげながら、それが科学を超えて倫理的に問題がある技術であることが解ったために継続する事を断念したという経歴をお持ちであるという事でした。これは、科学者であるならば科学的に主張できることは断固として主張し、科学的手法を超えた問題からはそれが個人的に利益になることであっても科学者としてそこからは身を引くという姿勢に感銘を受けたからです。


そういう博士への好感はありましたが、それだけで博士の言説を信じるというのでは個人的にはともかく、他の人に訴えるにはやはりそれなりに可能な範囲で検証しなければなりません。検証に当たっては、放射線と健康を考える会ホームページを主として参考にしましたが、それ以外では、稲博士とは反対意見である3人の諸先生方の準拠される資料には特に丹念に参照したつもりです。勿論素人に可能な範囲内ではあります。蛇足ながら、この専門外という意味では、原子物理学者や原子力専門家も一般人と同列ではないものの、やはり医学のこの分野の専門家ではないということは認識しておく必要があるかもしれません。

その結果が上記ブログ記事ですのでご高覧頂ければ幸いです。

残念ながらツイッターにはやはり間違った言説や他人の言説を鵜呑みにした言説、悪く言えば流言飛語というような言説もあるように思えます。もちろん統制には絶対反対です。だいいち自分自身でさえ意識せずに流言飛語を放っている可能性がないとも言えないのに一体だれがすべての流言飛語を公平に判定できるのでしょうか。

結局のところ、基本的には誰もが可能な限り元の情報源、原典に自分自身でアプローチして自分自身で考えるしか道はありません。一般人のみならずどのような専門家でも専門外の情報に当たらなければならないわけですから、これは限定付きで、不可能なことではないと思います。この点にこそインターネットの最大の恩恵があるのではないでしょうか?


現在の閉塞状態から抜け出すには・・・、個人的にはCO2温暖化説が通用している限り突破口はないようない印象をもっています。具体的にはそういう世論調査でCO2温暖化説を信じない割合が高まることではないかと考えています。昨年のBBCニュースでによれば、英国ではもう国民の過半数がCO2温暖化説を信じていないという結果が出ていたと記憶しています。日本ではそういう世論調査が行われていないのは残念ですが。今日改めて調べて見たのですが小出裕章氏もまたCO2温暖化説の誤りを指摘しておられる事を知り、この点で安心していました。http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/JCC100119.pdf 私はこれらの諸先生方にはもっとCO2温暖化説の誤りについて声を大にして発言して頂きたいと思うものです。今の閉塞状態から脱出するにはCO2温暖化説から開放される以外の突破口は考えられないと思います。http://d.hatena.ne.jp/quarta/20110401#1301656569

以上、この問題でお付き合い頂き、有難うございました。


4/27 追記
ちなみに、現在CO2温暖化説への批判の多くは間違いではないと思いますが、少々ポイントがずれているような気がします。言い方を変えれば、意図的かどうかはともかく、CO2温暖化論の土俵に乗せられた上で反論を述べているような論調が多いように思います。季候モデルとか季候感度といった概念を使わされているようですが、その種の複雑なモデルなどを使う必然性についての議論が抜けているような気がします。そのような込み入った議論に加わらなくても、それ以前にCO2温暖化説が間違いであることを証明できるのになぜそのような相手の土俵に乗るのか不可解です。

CO2温暖化説が間違いである事を理解するのは少しも難しいことではないはずなのですがね。それをことさら難しいことにしてしまっている。

それは海には空気中の40倍以上のCO2が含まれていて、空気中のCO2とバランスが取れていること、そしてその割合が温度によって変動することをを理解するだけで十分なはずなのです。温度が上昇すれば人間がCO2を排出しなくてもCO2が海から放出され、温度が降下すれば空気中のCO2が海に吸収されるだけの事です。そして実際、気温と海水温の変化に遅れてCO2濃度が変化している。分かってみれば少しも難しいことではないはずなのですが。

日曜日, 4月 24, 2011

プルト君のことはよく知らないけれど・・・・

プルト君のことはよく知らないけれど・・・
こんなにも長い間、迫害され続けてきたCO2君にはまったく同情に堪えない。
痛めつけられ、耐え続けているCO2君の事を思うと泣けてくるよ
みんないい加減に彼をいじめるのをやめ給え

聞くところによれば日本人は、またまたCO2君を無理矢理地下深くに圧入するという。
これで地震が誘発されるのではと心配する声もある。
そんなことをして何が自然との調和、自然の尊重と言えるのだろう。

CO2君が一体何をしたというのだ?
空気中に含まれるのはわずか0.03%。
呼吸の邪魔をするわけでもない。
むしろみんな、贅沢にもわざわざ飲み物にまでCO2を入れて楽しんでいるではないか
CO2君がなくなれば植物も動物も一日たりとも生きてゆくことができない。

今度の地震と原発事故もきっと神様がCO2君の事を不憫におもって、人間を罰したのだ。
いつまで彼に濡れ衣を着せ続けるつもりなのだ?と

もともとそんな罪自体が存在しない。
前世紀後半から温帯の一部が暑かっただけではないか。
それももう収まりつつあり、寒冷化が始まっている。
温暖化がなくても干ばつは起きるし嵐も起きる。
まあ化石燃料の使いすぎや使い方の悪さはあったかも知れない。
空気を汚したし、発がん物質もまき散らしたかも知れない。
でも「CO2対策」で本当に化石燃料を減らせたのか?
いずれにせよすべて人間の罪でCO2君にはなんの関係もない。

そんなことを言っていてもあと数年の中に大気中CO2君の一部は空気中から撤退し始め、海の中に入って行くだろう。
もともと海の中には空気中の40倍くらいのCO2君が控えているのだ。
海中のCO2君はもちろん植物の栄養となるが、珊瑚や貝殻の中に入って堆積する。
堆積したCO2君はもう、そう簡単には戻ってこない。
まあすべて大気中から消えてしまうわけではないから、別に心配する必要もないのだが、
地上の寒冷化がさらに進むことは間違いが無い。
気候変動もまたあるだろうし、引き続き世界各地で大地震もおきると言われている。
そんな大変な時代に入ってなおCO2君をいじめ続けて何になるのだ。
なんという無駄、浪費、罪悪。

土曜日, 4月 16, 2011

無題

このたびの地震に関連して天罰という言葉が波紋を呼んだが、一方で自然のしっぺ返しという表現を使う人がいる。天と自然とは同じではないのでかなりニュアンスが異なるが、そこに共通する意識があることは間違いが無い。それはやはり人間には何らかの責めを負うべきものがあるのではないかという意識である。

端的に言って私は科学と科学技術者の責任が大きいと思う。何と言っても、とにかくここまで現在の文明をここまで牽引してきたのは近代科学技術だからである。それが部分的に挫折したのである。やはり科学信仰という一種の信仰であったというべきではないかと思う。


科学で解ること、科学的に解明できることは断固として主張すべきであり、一方で科学で理解できないこと、科学技術でできないこと、無理があることは科学としては沈黙し、無謀で人道に外れるような技術の開発はすべきではなかったのに、往々にしてその反対が行われてきたのではなかったかということだと思う。

科学的にはっきりと断言できることには目をつぶり、一方で科学の方法で理解することが無理な、あるいは不適切な問題を解明できると考えたり無謀で人道に外れるような技術開発を行ってきた、とも言えるのではないだろうか。もちろんすべてがそうであるわけもないけれども。


ゲーテが次のようなことを言っている。「(自然科学の勉強によって)私にわかったことは、たいていの人間にとって学問というものは飯の種になる限りで意味があるのであって、彼らの生きていくのに都合のよいことでさえあれば、誤謬さえも神聖なものになってしまうということだったよ」、エッカーマン、山下肇訳。

ここで「誤謬さえも神聖なものになってしまう」と言っているのは興味深い。科学者も神聖なものを求めている面があるともいえる。科学者が音楽や芸術に造詣が深かったり、興味を持つことは極めて普通の事だとも思うが、既成宗教への信仰を持つ科学者も多いし、神秘思想を持つ場合も少なくないだろうと思われる。

しかし一方では無意識的に科学自体を神聖化したり、科学的な表現自体の中に神聖なものを求めたりすることがあって、そういう場合に往々にして「誤謬さえも神聖なものに」してしまうのではないか、とふと思った次第である。

月曜日, 4月 11, 2011

稲恭宏博士の講演をUチューブで聞き、考えたこと(前回に続けて)

前回の記事を書いてその後、ニュースやネット関係で幾らかの情報が得られたので、もう少し突っ込んで考えてみました。前回同様、全体としてまとまりがありませんが、とりあえず問題点の列記です。

◆ 前回、稲博士の考え方に沿って自然放射能の高い地域での調査結果をネットで調べてみた結果、筆者の判断として、平均的自然放射能の10倍くらいまでの線量率の場所では、少なくとも全く問題はないであろうという確信(と言っても良いと思うが)が得られた。その後得られた情報からも、このような考え方をしている人や、機関は多いように思われた。政府関係の発表にもこのようなデータに基づいているケースがあるように思われる。

この件に関連してツイッター上で次のような発言を見つけた。
『 @hkawa33: 政府は公式に「100mSv以下の被ばくでがんが増えるという科学的根拠は無い」という「しきい値モデル」に立っているのだろうか?少量でも危険は被曝に比例するという「直線モデル」も検討が必要。「NHKニュース: 学校に屋外活動控える指示も」 http://nhk.jp/N3v86NcP』

このツイートで「しきい値モデル」と「直線モデル」という言葉を教えられたのだが、稲博士の考え方は「しきい値モデル」、ただし線量ではなく線量率のしきい値モデルに基づき、そのしきい値が自然レベルの数千倍と極端に高い、というふうに表現することができそうである。そして「直線モデル」と言われているのが、稲博士の言う、「チェルノブイリでのデータを外挿しているだけのデータ」に相当するのであろう。個人的には「モデル」という言葉には少々違和感があるけれども。

個人的には、しきい値のデータに信頼が持てるのであれば、しきい値モデルを使うのが正当だと思うのだが。特に中国広東省のデータのように平均的自然放射能レベルの3倍で地域ではむしろがんの死亡率が低くなっているという事であれば尚更直線モデルの妥当性が少なくなるというものである。

◆ その後の情報でもう一つ、気になったのはチェルノブイリでの事後調査を報告したNHKのドキュメンタリー番組があちこちで紹介されていたことである。全体的な印象では、稲博士の説とは反対で、少ない蓄積線量であってもガンの発生や死亡率の上昇に悪影響がありそうだという内容なのだが、どうも提示されるデータや実例が断片的なものばかりであって、総合的な判断ができないようになっているように思われて仕方がないのである。チェルノブイリのデータは他のソースでも紹介されているが、いずれも断片的なものばかりに思われる。例えば個人的な具体例の紹介のみで全体の中での位置づけが分からない場合、あるいは特定の放射性物質の濃度のみで、放射線全体のデータが示されていない場合等々。「直線モデル」にしても「しきい値モデル」のいずれにしても、また線量、線量率のいずれにしても、全体を表すグラフの中でその事例がどういう位置を占めるのかという点で一面的、断片的な例ばかりであるような印象なのである。

またもう一つ、稲博士のビデオを見るよりも以前にやはりUチューブで見せてもらった京都大学の小出裕章氏の講演ビデオ http://www.youtube.com/watch?v=4gFxKiOGSDk を見なおしてみた。そうすると確かに直線モデルの解説が含まれていた。先に見たときは当方の知識がなかったために直線モデルの意義を見過ごしていたということなのだろう。このビデオによるとアメリカ科学アカデミーのBEIR-Ⅶ報告が引用され、そこでは直線モデルが正しいと断定され、小出氏もそれを絶対の基準とされているようである。その報告の結論をコピーすると次のようになっている。
「利用できる生物学的、生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない。」
この報告では「被曝のリスク」という言葉が使われているが、小出氏の方は「影響」という言葉を使っている。

この点で私は思うのだが、影響とリスクとは区別しなければならないのではないだろうか。報告書では「被曝のリスク」という表現だが、これもちょっと判りにくい。具体的に「ガンのリスク」とか、少なくとも「健康リスク」というべきではないだろうか。要するに直接の「影響」と「健康リスク」とは別ものではないだろうか。線量に正比例して何らかの影響が出るにしても、それが即比例的に健康リスクにつながるとは断定できないのではないか。この点を確認するにはやはり現実のデータを見るしかないのは当然である。そこでチェルノブイリや、もっと遡って広島や長崎の被爆者のデータが参考になる筈であり、そういうデータがない筈はないと思われる。しかし、どうも一般向けにそういうデータが包括的に紹介されているとは思われない。すべて断片的な印象である。稲博士がそういう統一的なデータを解析した結果、件のビデオで主張しているような結論に至ったのであるのなら、大いに期待が持てると思うのだが、

付け加えておくと、私は小出氏のビデオから大いに啓発されたし、原発に対する基本的なスタンスには納得出来る。同様に稲博士のビデオにも条件付きで納得でき、期待が持てるというのが正直なところである。

◆ ガンのリスク要因といえば放射線以外にも色いろある。タバコや大気汚染も当然それらの中に含まれる。それらの中でも放射線を特別視する理由はどこにあるかも明確にしておく必要があるように思われる。

◆ 基準値にしてもデータにしても常に線量率と線量の二本立てで基準値を作成し、出来る場合は線量率のデータも公表してもらいたいと思う。普通は線量率ではなく線量で与えられる場合が多いけれども、これは私の想像では、単に測定の容易さや取り扱いの容易さによるものではないだろうか。

私はかつてX線分析の仕事のためにエックス線取り扱い主任者の資格をとったことがあって、当時、作業中はフィルムバッジを付けていた。これは計数管ではなく単なる感光フィルムなので測定期間の蓄積線量しか測ることはできない。今でも現場の作業者が付けている測定器の殆どがフィルムバッジなのではないだろうか。多くの場合に線量率ではなく線量を基準として事が進められているのはこういう実用的な理由によるのではないかと、個人的には推測するのだが、どうなのだろうか?

◆ もちろん、稲博士の説が全面的に正しいとしても原発そのものの危険性や不合理性、あるいは非人道的となる可能性についてはそれらを軽減することにはならないであろうと思う。爆発して高濃度の放射性物質を撒き散らす危険性や危険な労働環境、経済的な不合理性、使用済み燃料の危険性、さらに、結果的には総合的にCO2排出を減らすことにもならないのでは尚更、CO2温暖化説が正しいとしても、正当性がないと言える。

木曜日, 4月 07, 2011

稲恭宏博士の講演をUチューブで聞き、考えたこと

話題の稲恭宏博士の講演をUチューブで拝見しました。
http://youtu.be/PQcgw9CDYO8

ツイッターでは非難する人が多いので一体どういう人なのだろうと思っていたところ、某ブログで推奨されていたので、そのリンク(上記)から博士の講演を見せてもらった。


強い印象を受けたが、かなり長い講演で色々な発言を含んでいるので、全部整理して素人が総合的に判断することは難しいが、とりあえず箇条書きで印象と問題点等をメモしておきたいと思う。

◆ 一言で言えば、問題になるのは線量率だけで、蓄積線量は問題にならないということのようだ。そしてその線量率も基準の千倍程度まではむしろ健康に良いということだがその根拠には、少なくとも害にならないということの根拠には、―データが正しいとすれば―確かに納得できるものがある。確かに自然界の放射線レベルには場所によって差があることは常識的にもわかる。しかしそれが実際にはどの程度なのだろうか、またこの点で稲博士のデータと根拠は正しいのだろうかと、ネットで調べてみると次のウェブページが見つかった。ページタイトルは「自然放射線の高い地域のガンは多くない」:http://www.iips.co.jp/rah/kangae/lowdose/sizen_s.htm
このページを見ると、なるほど、自然放射線のレベルが普通の地域の3倍と言われる中国広東省陽江県のデータではむしろレベルが高いほうがガンの死亡率が低くなっている。
このページのトップページに移行すると、「放射線と健康を考える会」という団体のサイトでありhttp://www.iips.co.jp/rah/index.htm メンバーには原子力関係者も含まれているみたいだが、どちらかというと医学系の専門家が多いようで、結構多様なメンバーに思われる。
リンクサイトには東京電力も含まれるが、医学研究系の団体が多い。いずれにせよ、こういう団体や人物のことは素人には分からないが、色々と興味深い情報が公開されている。
いずれにせよ、先の中国広東省のデータが本当だとすれば、少なくとも通常、自然の3倍の強度(線量率)の放射線を継続的に浴び続けていればむしろガンで死亡するリスクは低下するといっても良さそうである。

あるサイトには、イランのラムサールの様に平均の20倍の強度の場所が紹介されている。しかし稲博士は平均の数千倍の地域もあるという。たしかにウラン鉱山とか自然界は多様だからそういう所もあるのだろう。でも健康データがすべて出ているとは言えないだろう。もちろん、データがないということとリスクが高いということが同じである訳でもない。ただ解っていないというだけだろう。本当に数千倍の地域で住み続けている人々がいて安全なデータが出ているとすれば、完璧に稲博士の主張は正しいことになる。そうでなくとも逆のデータが出ていないとすればどちらとも言えないことになる。

さらにネットで調べると、(財)高度情報科学技術研究機構というところのサイトにガラパリというブラジルのウラン鉱山地方のデータが紹介されている。それによると染色体の異常は対照地域の1.3倍だそうだが、「しかしながら、エスピリト・サント州の夫婦8000組とその妊娠終結(生・死・流産)44,000回について、産児の性比、先天性異常、流産、死産、乳児
死亡、生殖能(受胎率、出産率)を調べた結果によると、対照群と比較して、「良い」影響も「悪い」影響も認められなかった。」という報告が出ている。残念ながら、ガンの調査はされていないようだ。この地域の線量率の分布グラフがあって、それによると平均で日本平均の10倍くらい、最高で40倍くらいになっている。千倍とはまだかなり開きがある。


稲博士は現在の基準はチェルノブイリのデータを外挿したデータによることが間違いであると言っている。外挿したということは原点をゼロと仮定した直線または曲線ということになる。たしかに、外挿ということは実際のデータの基づいたわけではないのだから、これは単なる推定に過ぎないというのは分かる。この点で上記のような自然放射線の強い地域の住民のデータが出ているとすれば、それを考慮に入れた曲線にしなければならないのは確かに当然である。

以上から、稲博士の基本的な考え方自体は間違っていないと思う。あとはデータ次第だろう。上の中国広東省のデータが正しいとすれば少なくとも世界平均の3倍までの位置までは外挿曲線を修正しなければならないとは言える。またカラバリのデータが使えるのであれば10倍程度までは修正しなければならなくなる。

◆ 現在までのニュースによると、原子炉の炉心が一部溶融して圧力容器や格納容器が損傷していることは間違いがないようだが、稲博士は圧力容器は壊れていないと発言しているのが気になった。

◆ 原発の全般的な危険性についてはあまり触れていない。でこの点でも博士の考え方を述べて欲しかった。医学者であって原発の専門家ではないので、これは仕方ないのかもしれない。使用済み燃料を地下に埋める事の危険性について触れていたが、すこし物足りない気がした。

◆ チェルノブイリで子供の甲状腺癌が発生したことについては食べ物にヨウ素成分が少ないという、チェルノブイリでの地域的な特殊性によるところが大きいとしている。これは理解できるが、ヨウ素以外にこのような特殊性は他にもないのかどうかが気にかかる。


これまでの結論:単純に線量率から言えば、少なくとも今の自然放射線の10倍くらいまでの線量率なら本当に問題ないのかもしれないと思う。もっと稲博士の研究を知ることで、信頼度が上がるかもしれない。ビデオ中の稲博士の印象からも、個人的には、10倍以上でも大丈夫かもしれないと思うが、数千倍となると、不安があるといったところだろうか。いずれにしても稲博士のこの発表は一定の安心材料であると言っても良いと思う。体内被曝については今のところ、そこ迄まで納得出来ていない。

稲博士にはTVなどで他の諸先生方と議論してもらいたいものだと思う。これはメディアの意向次第だろう。