金曜日, 9月 16, 2016

不忍池とスマートフォン、そしてポケモンGO


不忍池とスマートフォン、全く異なるものだが、どちらも最近の私にとってちょっとした宝物といえるかもしれない。といっても唯一無二でも最上の宝物という程のものでもない。もちろん「お宝」などではない。もともと宝物というものはたいてい人生にとって必ずしも不可欠といえるようなものではない。あるいは代替が効かないようなものでもない。文字どおりの宝物である宝石にしても多くの女性にとって、無くしたからといって、あるいは身につけられなくなったからといって、絶望するほどのものでも無いだろう。とはいっても人生の一時期には他に代え難い有り難みをもたらしてくれるものといえるかもしれない。



不忍池によく足を運ぶようになったのはこの2、3 年のことである。今の住居から 2キロぐらいしか離れていないから格好の散歩コースである。かつて仕事で御徒町の方によく通っていた頃は御徒町の方から上野公園に足をのばしたとき、たまに不忍池まで立ち寄ることがあった程度だったが、年ほど前からそのようなコースよりも自宅からは随分と近道になる東大の裏門あたりの道、弥生町のあたり、竹久夢二美術館の前などを通る道や、近辺の複雑な小道、あるいはやや遠回りをして根津駅あたりの方を回ったり、いろいろなコースから歩いてゆくようになった。現在、一応は自宅で仕事をしているから、平日はどうしても、仕事が無くても5時か6時頃になるまでは外に出る気にはならない。仕事の連絡はすべてメールで来るからである。今年の初めにスマホを購入したきっかけの1つは、外でいつでもメールチェックをしたかったからだが、しかし冷静に考えてみればせいぜい3時間程度の外出で、メールチェックが絶対必要だというほどでもない。携帯電話があれば十分だろう。そんなわけでいったんはドコモのスマホ契約をしたが、あまりにも不経済な通信料とソフトの使用料に辟易して3ヶ月程で解約し、普通の携帯電話に戻してしまった。この間、かなり無駄な出費をしてしまう。ただスマホ自体は自宅で結構便利に使っている。やはり自宅でもパソコンだけでなくスマホがあると便利ではある。片手の手の中に収まるという点、確かに宝物という感触はある。外ではもっぱら散歩中に写真を撮ったり、不忍池のベンチで電子書籍の読書をしたりしていた。夕方暗くなってからでも読めるのでスマホの電子書籍はなかなか気に入っている。文字が多少小さくても書体はパソコンよりも読みやすい。もちろん紙の本も不忍池のベンチで読むのは快適である。以前から、外が明るいうちは、自宅の狭い空間ではあまり読書をする気にならないのである。読書をする場所として不忍池のベンチはまたとない場所になっていた。



この間、外出中スマホでのデータ通信をあきらめたわけでもなく、いろいろ対応を考えてはいた。ワイマックスの古い契約が残っていて月390円で多少のデータ通信ができるはずだったのだが、実際にスマホで使用してみて通信量など、機能性の問題で使い物にならないことが判明。こちらも今更ながら解約し、現在最終的に、ワイヤ・アンド・ワイヤレスという公衆無線LANサービスに加入してみた。その結果、利用可能エリアは限られるが、一応使えことは確認できた。ただし、殆どの利用可能エリアはオプションエリアと呼ばれて追加料金が必要なエリアである。看板に偽りありの感が無くもない。日本の通信会社はすべてこんなものなのだろう。月に税込み390円だから、今のところもっとも安い選択肢ではあるようだ。しかし上野駅で一カ所、無料で無線LANを提供しているところもあるにはある。他にも探せばいろいろありそうだ。







道路の向こうは横山大観記念館




こんなわけで、 不忍池のベンチでスマホのデータ通信をするわけには行かないが、スマホは持ち歩いてはいる。ちょうどそんな時期にポケモンGOの騒ぎが始まり、急にこのエリアが騒々しくなったのであった。もともと不忍池エリアではスマホを手にしながら歩いている人は多かった。カップルなどはスマホで写真を取り合っていたし、年寄りでもスマホで写真を撮り歩いている人は結構多かった。そんな次第でポケモンGO以前にこの場所それほど閑散としたいたわけでもない。桜の花見頃はもちろん、アジサイやハスの時期には花見の見物人も多く、外国人観光客も多かった。特に中国語は日本語と同じくらいの頻度で耳に飛び込んでくる。ただやはり暗くなる頃にはかなり閑散としていたが、それでもかなり遅くまで散策する人は結構いた。しかしポケモンGOが始まってからの騒々しさはレベルが異なる。まあ夕方の5時頃まではそれほどでもないが、5時半頃を過ぎると、二つの池の間の遊歩道で波のように通勤ラッシュさながらの混雑 現出する。池に面したベンチに座っていると後ろの方で急に聞こえだした足音はまるで歩兵の進軍ではないかと思われるほどざわざわ慌ただしい。そろそろ帰ろうかと思って歩き出したが、彼らと反対方向に歩くのが困難なほどだった。その後も何度か同じ頃、同じ場所に行っているが、だいたい同じような状態が続いている。あるとき、当方もベンチに座りながらスマホを持って電子書籍を見たり、写真を撮ったりしていると、ポケモン仲間と思われるらしく、その場所でポケモンが獲れると思ったのか、すぐ隣まで来てポケモンをする若い人たちもいる。そして実際にポケモンが獲れたらしい会話が聞こえる。






このような、多くは少年とはいえ、大人も少なくない、あたかも歩兵の進軍のような慌ただしい群衆の動きを見ているとどうしても何者かに動かされているか操られているような、不気味な印象を免れ得ない。実際にゲーム会社に動かされている訳だが、こんなゲームを通常のプライドを持つはずの大人が嬉々として遊んでいるというのは本当に信じがたい気がする。童心に帰るのもいいが、時と場所とする事を選んだ上で童心に帰ってもらいたいものだ流行とはこのようなものかもしれないが。
いずれにしても、このようなゲームは例えばディズニーランドなど、特定の場所を限定した上で実施すべきものである。


 ポケモンGOの流行で、厭なというか、不安に思われることの一つに、このゲームを批判する意見が不当に無視されているのではないかという印象である。第一、政府もマスコミもこのゲームをバックアップしているのではないかとさえ思われる。こんな、道路や公共の場所にバーチャルとはいえエサ、ではないが、獲物のようなものを勝手にばらまき、人々を招き寄せるようなゲームが何の障害もなく通用する事態そのものが異常ではないのだろうか。ゲームのようなバーチャルな環境を公共の場に持ち込むことは関係のない人を巻き込むことになる。事実、死亡事故まで起きているというのに。




このゲームにも当然、賛否両論があり、マスコミでも両方が取り上げられてはいるが、どちらかと言えば否定派の意見が片隅に追いやられている傾向がある。特に肯定派の意見に特徴的なこととして単にこのゲームのメリットを主張すると言うよりも否定派の批判や否定派の人物を批判するような傾向が見られるのは特に厭な感じがする。たとえば次のような内容の記事があったのには驚いたのである。

このゲームが一つの原因で死亡事故があったことについて、その論者が言うには、すでに歩きスマホが原因で起きた交通事故は沢山ある。それらは沢山あるので報道されていないだけである。たまたまポケモンGOが流行し始めたので改めて事故が取り上げられたに過ぎない。だから特に問題にするほどのことでもない、ということらしい。こういう考え方を倒錯した論理というのだろう。すでに歩きスマホが原因の事故が多発しているのなら、新たに歩きスマホが前提となるようなゲームの導入にはことさら慎重になるべきではないのか。実際に死亡事故が起きたのは歩きスマホどころか、自動車の運転をしながらのポケモンGOだったはずである。そんなことを知ってか知らずかその論者は道路でこのゲームで遊ぶことを批判するのは自動車側の横暴だなどと書いていたように記憶している。このような見当外れで無神経な論理がまかり通るというのはまさに異常事態のように思われ、不気味でさえある。

今日の夕方にまた散歩でいつもの場所に立ち寄ってみた。日が暮れ、暗くなると、最近には珍しく、人が少なくなっていった。6時を過ぎてもいつものようにゾロゾロと大挙して慌ただしく群れてくるようなことはない。この場所にポケモンが出現しなくなったのか、あるいはこのゲーム自体が下火になったのか?しかし弁天堂の前は相変わらずごった返している。まあ波があることだし、実際にこのゲームも下火になってきたのかもしれない。このゲームもすぐに流行らなくなるさ、という人も多が、確かにうなるだろうとは思う。しかしゲーム会社や利権側も新たな手を打ってくるだろうし、同じように公共の場にバーチャル環境を持ち込むようなものがゲームに現出する可能性がある何よりも心配なのは政府も産業界もマスコミも挙ってこのようなゲームを後押しし、社会全体としても抵抗もなくすぐに受け入れるような風潮なのである。

  それにしても携帯電話会社のパケット定額制や「かけ放題」 の強制には困ったもの。せっかくのスマホのメリットを大きく損ねている。変なゲームを後押ししたりするのではなく、こういう問題を改善することこそが、真にスマホを多くの人々にとっての宝物に変えるのだと思うのですがね。