日曜日, 11月 02, 2008

「風神雷神図」を見て――国立博物館 大琳派展にて

今特に琳派に興味をもっているとか、見たいとか思っていたわけではなかったが、宗達と琳派の「風神雷神図」が見られるというので見逃したくなくて見に行った。
光琳作の方は宗達の忠実な模写と言われているが、意識的に変えたと思われる部分も結構ある。特に色がそうだ。全体に宗達の原作の方で色のバランスが完成されているのに、光琳はわざと変えたように見える。
まず、雷神の上半身にまつわってはためいているリボンの色が、原作では風神の方と同じ濃い紺色であるのに対し、光琳は雷神のリボンだけを緑色にしている。こちらの方が鮮やかで目立つが、個人的には原作の色彩がバランスが取れていて美しいと思う。
すぐに気づくことだが、風神雷神の腰回りの衣服の裏側とか帯の赤色が、大きく違っている。宗達の方では雷神の方の赤色が可成り脱落したり、汚れていたりするようだが、残っている部分を見ても、もともと光琳と抱一ほどの強烈な赤は使っていないように見える。また、抱一では色の薄い部分はピンク色になっているが、こういう色は原作では使われていない。また抱一の風神のリボンの裏側はオレンジ色になっていて、意図的に何かを変えようとした形跡もみえる。
雷神の周囲に小さないくつもの太鼓を繋いでいる後光のようなリングがあって、このリングが原作では透明度の高い黄色で、地の金色に溶け込んでおり、神秘的で奥行きがある。また個々の太鼓の描き方も立体的で絵画的である。これに対して光琳の方はもっと白っぽい不透明な色で、しかも太く目立つように書かれており、太鼓も図案的で平面的。
雲はやはり原作の方が奥行きのある雲らしい。光琳の方では現在の漫画でよく使われている表現のように、抽象的な演出効果のように使われているようにも見える。
但し風神雷神の表情はそれ程変わっていない。もともと単純で複雑な表情ではないが、表情が変わっていないと言うことは、やはりこれは忠実な模写であって、本質的な、内容的な部分に変更を加えようとしたものでないことがわかる。
全体として、光琳以後の模写は原作の造形的な一面を強調したものになっているというところだろうか。総合的に絵としてやはり宗達の原作が、美しく完成されていて品格があり、内容的な深みもあり、雰囲気の描写も優れていることは間違いが無いように思う。
それにしても何故宗達はその時期にこのような題材でこの屏風を描いたのだろうか。注文主の意向もあるのだろうか。そういう事が気になって仕方が無い。そういう事は分かっていないのか、解説や、百科事典などで調べても書かれていない。というのはこの時期の屏風の題材としては珍しいからだ。風神雷神といえども神々であって、宗教的な意識と関係があるのだろうか。あるいはもとの図は北野天神絵巻から取られたと言うが、菅原道真と関係があるのだろうか、といった点だ。
あるいは、なぜ雷神が白く、風神は緑色をしているのだろうか。何故風神雷神はこのような素朴な表情をしているのだろうか。
雷神のほうは単純素朴に暴れたいから暴れているように見える。もっとも光琳などのほうを見ると多少は意地悪そうな表情にも見えるが。一方の風神はなお素朴で、単純に任務を果たそうと、それが自分の役目だから当然のこととして仕事をしているかのような表情に見える。
これらの神々の背後に、あるいは上に、より高い神が存在していて、風神雷神はともにその、絵には描かれていない神に動かされている存在に過ぎないのだというように、・・・思われてくる。そういう意味で、やはり神秘的な絵ではある。

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