火曜日, 2月 11, 2014

政治的争点としての脱原発問題

端的に言って、投票率を含めた今回の都知事選の結果がこうなった原因は、個人的にはどう考えても一方の方から、争点が脱原発問題になってしまったと言うか、されてしまったことにあると思う。

震災直後ならこういう争点になる必然性は十分あっただろうと思う。しかし、現在に至って国民も都民も多くの事実、それも真実、虚偽、欺瞞 、謎、等々を含めた様々な事実を知ってしまった。たとえ今でも即時の脱原発論が正当であるとしても、現在の状況下における都知事選の第一の争点になる必然性はなかったと思う。選挙まえに一度だけツイッターでその疑問をつぶやいた。

繰り返しになるが、福島原発事故以降、確かな事実、不確かな事実、真実、虚偽、欺瞞、誇張、あらゆる態様というか、可能性というか、適切な言葉がみつからないが、そういう状態を含めて多くの事実が明らかになった。今では平均人の体内に常時数千ベクトルの放射線を維持し続けていることや、現在の東京よりも何倍ものの自然放射線の地域がざらにあることなど、常識の域に近づいていると言えるし、ある程度の放射線に健康増進効果があるという学説や研究も多々あることなども知られるようになった。この期に及んでまだ放射線の健康への脅威を過剰に強調するのはまさに、過ぎたるは及ばざるがごとし以外の何物でもないと思う。

たとえ即時脱原発主義が正当であるとしても 、根拠に多少とも見え透いた欺瞞が含まれ、過剰に強調されていたとすれば当事者自身の信用を失うし、不勉強、不見識を疑われることになるだろう。

 ウソも方便ということもあるかもしれないが、それは本当の大人と本当の子供との関係において通用することである。現在の政治家や政治運動家や活動家、あるいは評論家やジャーナリストと一般人との関係が、あらゆる点で大人と子供との関係にあるなどと考える人は今やいないだろうと思うが、もしそう思っている活動家がいるとすれば思い上がりも甚だしいと言うべきでだろう。

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