金曜日, 11月 04, 2011

「坂の上の雲」 ― 言葉のイメージ ― 仰視的イメージと鳥瞰的イメージの両面

書店に行くと、今年もまた年末近くになって「坂の上の雲」特集本が並び始めたようだ。本のタイトルとして「坂の上の雲」は非常に意味深かつイメージ的な言葉であると思う。かつその喚起するイメージはかなり多義的というか、多層的と言うか、そういう面があるように思う。

以前このブログで書いたことだけれども、「坂の上の雲」が「丘の上の硝煙」というような意味も込められているような気がしたことがある。今回の場合は昨日、書店で「坂の上の雲」特集本を見ているうちに気づいたことの一つで、「坂の上の雲」というフレーズが持つイメージには仰視的なイメージと俯瞰的あるいは鳥瞰的なイメージとを同時に喚起するようなところがあるように思う。

一つは、坂の上の雲を見上げながら坂道を登ってゆく人物から見たイメージ。もうひとつは坂を登ってゆく人々と坂道全体、そして雲をも含めて遥か上方から見下ろしているようなイメージである。「坂の上の雲」というフレーズは、こういう多層的なイメージを喚起する言葉であると思う。多少似た言葉で、例えば「青雲」とか「青雲の志」といった言葉がある。こちらの方は視覚イメージからかなり離れていて、「坂の上の雲」のように具体的な視覚的イメージから遠いが、やはり、多少の視覚的なイメージはある。そのイメージは人物の視点で上方を見上げる仰視的イメージのみであって俯瞰的なイメージが殆どない点で、「坂の上の雲」とは異なるように思う。


「現代の坂の上の雲を見つけなければならない」という人は結構多い。もちろん比喩であるが、この比喩は適切だろうか?この場合の比喩は仰視的イメージに基づいているといえる。それはそれで一定の意味はあると思う。しかし、俯瞰的なイメージに基づいた比喩としてもそのようなことが言えるだろうか。


遥か上方から雲やその下方の山や丘、坂道を登ってゆく人物などを同時に俯瞰する立場からすれば、雲が何処で発生し、何処を通ってどう変化しながら、どのように流れてゆくのかが見えてくるだろう。もちろんそれでも雲の正体までは、それだけでは解らないのだろうが。

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