金曜日, 2月 11, 2011

歴史と、宗教と科学

政治的な問題を語るとき、宗教的な権威、宗教家や宗教的な人々はどうしても歴史、それも遠い過去にまで遡る歴史を重視する。ときには宇宙の起源にまでさかのぼる。非宗教的な人達はその反対。遠い過去の歴史はあまり考えない。だいいち科学でたどれる歴史には限りがある。宗教と科学という問題の1つの側面。

非キリスト教的な諸宗教の場合は共通してその根底にカルマ思想的なものがある。キリスト教やユダヤ教の場合は神の約束や預言という事になるのだろうが、カルマ的なものもないとは言えない。いずれにしても遠い過去まで遡ることになる。

もちろん、宗教でも正義というものを掲げるが、これは一応歴史的なものとは別次元の問題だろう。政治や現実生活の問題を語るのであれば宗教者であれ、科学者であれ、正義を抜きに語るわけにはゆかない。


そういえば『これから正義の話をしよう』というタイトルの本や放送が人気を博しているみたいだけれども、このあまりにキザなタイトルに辟易して本はもちろん、NHK受信料で見られる放送も見なかった。頑固な性格!


いずれにせよ、歴史を明らかにすることが大切であることには違いない。しかし宗教家のいう歴史は科学者からは信用できないものとして相手にされない。一方、科学的な方法で歴史のすべてをくまなく照らし出すことなどできる訳もない。


科学と宗教は互いに近づくべきであるし、理解し合うべきであるし、協力し合うべきだという思想に同意する。

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